幸せとはなにか、真面目に論じてみようと思う

康太です。

 

さてさて、今日は超根本的な話をします。

 

それは「幸せとは、幸福とは何か?」という話です。

 

僕がこのブログでビジネスやらなんやら発信しているのは、

あくまで僕らが「幸せに生きてける」一手段にすぎません。

 

ですが、

この一番大事な「そもそも、幸せってどういう状態か?」という記事を、

今日まで書いてなかったというね(笑)

 

だから、この「幸せとは何か?」という、

この果てしなく“哲学“な問いに対する、

僕なりの考えを述べてみようと思います。

 

むろん、共感するも共感しないもあなた次第って感じです。

 

ですが僕の中で一番「しっくり」きた答えがこれだったので、

「一意見」という感じで聴いてもらえればと思います。

 

「幸せ」とはなんですか?に答えられない僕ら

すごい当たり前だと思うけど、

みんなどうせ生きていくからには「幸せになりたい」と何かしら思っているはずです。

 

ですが、「幸せとは何か?」というのを実際、

本気で考えたことがある人は果たしているんだろうか・・・

 

そんなことを思っちゃったりします。

 

でも、これは言ってみれば、

「何の山に登るかは分かんないけどとりあえず山に登りたい」

と言っているようなものです。

 

それでは多分いつまで経っても具体化せず、

したがって達成されることのない望みになってしまいます。

 

エベレストに登りたいししろ、富士山の3合目くらいまで登れればOKと思ってるにしろ、

まずは「何の山に登るの?」という目標を具体化しないと始まりません。

 

必要経費や行先も、登山計画も立てられませんからね。

 

それと同様、「幸せとは何か」を分かってもいないのに、

漠然と「幸せ」を求めたって、達成できるわけがないんですよ。

 

むろん、これは僕らが悪いわけではなく、教育や世間の価値観の問題です。

 

「個人主義」「個性の尊重」とか言いながら、

肝心の「幸せとは何か?」というのを本気で教えてくれる人が壊滅的に少ない。

 

そりゃあ、ダメに決まってるじゃんという話。

 

もっと言えば、今の社会というのは、

「自分ごときが幸せを求めるなんておこがましい」

「せいぜい、無難に生きていくくらいが関の山だ」

 

という、

「幸せになることを諦めてしまってる」

「幸せを求めることを諦めざるを得ない」

という人を量産しちゃっているわけです。

 

そんな状態では、「幸せとは何か?」を答えることができるわけがないし、

まして「幸せを掴む」なんて不可能なんですよ。

 

よく分からん&コレジャナイ感満載の「幸せ」議論

また、これまでの歴史の中で

「幸せとは何か」

「幸福論」

を考えてくれた偉い哲学者さんやら、社長さんやらはいっぱいいます。

 

最近漫画にもなっている、

ショーペンハウアーの『幸福とは』とかいう本があります。

 

彼の著書の要点については、

すごい分かりやすくまとめてくれたブログがあるのでそちら様を紹介しておきます。

⇒ショーペンハウアーの「幸福とは」要約

 

で、ショーペンハウアーが語っている「幸福論」について引用をしてみますと・・・

 

人間は3つの根本規定に帰着させられる。

1.人のあり方
すなわち最も広い意味での人品、人柄、人物。したがってこのなかには健康、力、美、気質、道徳的性格、知性ならびにその完成が含まれている。

2.人の有するもの
すなわちあらゆる意味での所有物。

3.人の印象の与え方
印象の与え方というのは、ご承知のとおり、他人のいだく印象に映じた人のあり方、すなわち結局他人にどういう印象をいだかれるか、という意味である。したがってその帰するところは人に対する他人の思惑であり、名誉と位階と名声とに分けられる。

 

他にも、

 種々の(主観的な)財宝のうちで最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである。なぜかといえば、このような長所は他の何ものを待つまでもなく、この長所そのものによって報いられるからだ。

 私はアリストテレースが『ニコマコスの倫理学』で何かの折に表明した「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」という命題が、およそ処世哲学の最高原則だと考える。

「幸福に生きる」ということは「あまり不幸でなく」すなわち我慢のなる程度に生きるという意味に解すべきものであるということから、幸福論の教えが始まるのでなければならない。

長い、正直意味わからん(笑)

 

ごめん、僕のような無学な一般ピーにはしっくりこないんですw

 

いや、

長い時間かけて理解しようと思えばできないことはないと思うんだけど、

  • こんな小難しい幸福論なんか、果たしてみんな使いこなせるのか?
  • もうちょっとシンプルに考えられないのか?

 

と、純粋に疑問に思ってしまうんですよ。僕は。

 

で、挙句の果てにこのおっさん(失礼)が著書の冒頭で何を抜かしたかというと、

幸福論はわたしの主著で非難しておいた人間生来の迷妄が基礎になっている。

 

要するに、

「幸福や幸せなんて人間の妄想だよ、以上」

 

・・・

 

・・・・・

 

いやいやいやいやいやいや、

幸福論どころか、幸福全否定かい!?

 

なんかね、もうこの冒頭を読んだだけで僕は読むのをやめちゃいました(笑)

 

幸福論読もうとしてんのに、

幸福について知れば知るほど絶望する、

虚しくなっちゃう幸福論では意味ないと思うんですよ。

 

だから、ショーペンハウアーファン(?)の方には大変悪いんだけど、

僕は彼の『幸福論』には全く興味が湧かないですね^^;

 

「これを読んだところで、自分の幸せを発見できたり、探すきっかけになるだろうか?」

という視点で見たとき、

とてもじゃないけどそうは思えないんです。

 

まして、冒頭に

「幸せなんか人間特有の思い込みだよ♪」

ついでに最後にも

「この世はどう生きようが大差ないよ!」

 

こんなこと言われたら、

後でいかなるフォローを入れられたところで、

もう何も頭に入んないじゃないですか(笑)

 

むろん、最後まで読んだら

「妄想だとわかったうえでそれを追求する」

という話はしてるんですが、

やっぱり前提が「幸福なんて妄想だよ」で始まっちゃってる以上、

もうそれが頭から離れないから、

「幸福なんて論じても無駄なんだろ?」

で本を閉じてしまいたくなってしまう。正直。

 

もっと言えば、たとえばですよ。

 

小さな子供に

「ママ、パパ、幸せって何?」

って聞かれたときに、スパッと答えられないと意味ないじゃないですか。

 

まさか、小さな子供にショーペンハウアーみたいな「幸福とは何か」を、何時間もかけて哲学的にレクチャーするの?って話。

 

子供の性格歪むわそんなん(笑)

 

または、

人生に絶望して今にも自殺したそうなうつ患者が現れて、

「先生、幸せとは何でしょうか?」

と聞かれたときに、

「幸せなんて、人間の妄想だよ」

という一言でバッサリ切り捨てるんですか?

 

「じゃあ、みんな死ぬしかないじゃない!!」

 

ってなったら、最悪じゃないですか。

 

役に立たねーじゃんそんなん。

そんな幸福論、無い方がマシ。

 

別にショーペンハウアーだけが、って話はしません。

 

これは哲学者全般に言えることだけど(笑)、

前向きな話題を語る時もどことなく漂うニヒリズムと諦観のせいで、

なんかいつも「暗い&小難しい話」になってしまう。

 

だから、

僕はこういう哲学書や自己啓発系の本はあんまり好きじゃない。

 

読めば読むほど自己嫌悪や、ニヒリズムに傾倒してしまう。

つーか死にたくなってくる。だったら読まない方がマシ。

特に心の状態が「マイナス」にある人は。

 

ただでさえ「悲観的」になってる人に対して容赦ない、

「哲学」を突き付けてトドメを刺してどうすんだって話です。

 

まあ、

中二くらいの僕なら多少は共感したかも知れませんが、

少なくとも今の僕には受け入れにくいって感じです。

 

もちろん、ショーペンハウアーさんは僕など足元にも及ばない哲学者。

 

偉い人なのは間違いないんだけど、

単純に僕が考える&誰かに伝えたいような「幸福論」ではないというわけです。

 

まず、

「子供にもスパッと伝えて希望を持たせてあげられない」

という時点でアウトです。

 

「幸せの4元素」への違和感

また、会社の社長さんが考えた「幸せの四元素」というものもあります。

 

それによると、「幸せ」とは、

  • 1つ目は、人に愛されること
  • 2つ目は、人に褒められること
  • 3つ目は、人の役に立つこと
  • 4つ目は、人に必要とされること

 

・・・

 

・・・・・

 

うん、それって「幸福」ってより、ただの「社会的承認欲求」だよね?って思ってしまいますが、あなたはどうだろうか。

 

むろん、実際に「人との繋がり」「誰かに認められること」「居場所があること」というのは、幸せになるための要素の一つだとは僕も思います。その点に関しては全く異論はない。

 

でも、これだと社会的承認欲求=幸せとも思えてしまうし、

「それだと、なんか違わないか?」と思います。

 

例えばですよ。

大企業の社長で、モテモテで、美人の奥さんもいて、めちゃくちゃ金持ちで、いろんな人からも尊敬されて、親や家族、社会にも大きく貢献していて、でも本人は本当はロケットを作りたくて、田舎に許嫁を残してきてしまった。

  • 人に愛されてる
  • 人に褒められてる
  • 人の役に立つことをしてる
  • 人に必要とされてる

 

上のような状況でも、この「4つの要素」は満たしてることになりますよね?

 

でもこれ、本当に「幸せ」なんでしょうか?

 

なんか違う。うまく説明できないけど、何となく「違う」というのは分かる・・・

 

あなたも、そんな感じじゃないでしょうか?

 

「幸せ」と「幸せに見られたい」の違い

で、僕はこの「幸せの4要素」について、一番大きな問題だと思う点があります。

 

それは、

「みんな自分の幸せではなく、人に幸せに見られたい方に意識が向きすぎじゃないか?」

という部分です。

 

むろん、

「他人から認められ、受け入れられることが幸せである」

と、本音で言えるならそれもいいと思います。

 

でも、少なくともこれが当てはまらない人も多いのではないでしょうか。

 

そうでなければ、

「会社からは必要とされていても、会社を辞めたくてしょうがないサラリーマン」

「お金や時間、地位や力はたっぷりあるのに、なぜか満たされないビジネスマン」

のような人がいるわけがないのです。

 

だから、僕は「4要素」のような

  • 「社会的成功や社会的承認」
  • 「本人が幸せであるかどうか」

 

は少なくとも分けて考えた方が良いと思っています。

 

たとえば、

「いい年したおっさんが数人、白昼堂々公園で、大好きなおままごとで遊んでる」

というようなシチュエーションを仮定しますよ。

 

で、これをさっきの「4要素」に当てはめてみましょう。

 

周りから見たら「愛される」か?

・・・んなわけない(笑)

 

褒められるどころかけなされるし、

別の誰かの役に立つわけじゃないし、

というか誰も得しない。というか見たくない。

むしろ傍から見たらキモイだけです(笑)

 

でも、本人たちはよその目も気にせず楽しく

「ハイあなた、あ~んして♥」

「ママ!ミルクちょうだい!」

とか心から楽しそうにやってる。

 

このように、社会的承認はゼロだけど、

本人たちはそれが「心から(←重要)幸せ」という状況はありえるのです。

 

むろん、周囲から見れば

「変態がおるぞ!おままごとしとるぞ!」

「お前ら、頭おかしいか?」

 

というリアクションが返ってくることは必至だし、

なんだったら

「何か心の病を抱えてる、かわいそうな人」

にしか見えないでしょう。

 

・・・はい、ここでヒントが出ました。

 

「おっさん同士のおままごと」を実施している側と、

周りからその「おままごと」を見ている側。

 

当人達は「楽しい、幸せ」と思ってるのに、

周囲から見れば「キモい、頭かわいそう」としか見えない。

 

つまり、自分や他人が「幸せ」かどうかというのは、

割と見てる人の「主観」に左右されてしまうのではないだろうか、

・・・というのが僕の気づいたことです。

 

別の例で行けば、

日本は「飢え死にの心配がない」という点から「幸せだ」という人もいるし、

労働環境がクソで同調圧力が強い抑圧社会だから「不幸」という人もいます。

 

そう、ショーペンハウアーの言う「幸せは主観、妄想」というのは、

その面でかなり「当たってる」と言えるんじゃないでしょうか。

 

ですが、多分大半の人は、

この「おままごとのおっさんたち」のように堂々とはしていなくて、

「周りの目」を気にしてしまう。

「他人の目」に同調してしまう。

「主観的な幸せ」を貫き通せない。

「社会的な幸せ」に流されてしまう。

 

たとえ野外でのおままごとが我慢できないほど好きでも、

「社会的に称賛されない」から、抑圧してしまう。

 

・・・一歩間違えば「幸せならなんでもOK」という犯罪肯定にもなりかねないけど、

そのへんの話まで入れるとまた「幸せとは?」という話題が見えなくなるのでやめときます。

 

僕が言いたいのは、

  • 多くの人の言う「幸せ」とは「社会的承認欲求」とごっちゃになっているのではないか。
  • すなわち「人や社会が定義した“幸せ“に見られたい」という呪縛から逃れられないから、自分の「幸せ」を見つけられない人が多いのではないか。

 

これらの点ですね。

 

でも、ここまで来ると割とショーペンハウアーの

「幸福とは妄想=人間の主観」

という意見と似通ってくる部分もあります。

 

ですが、僕はもっとシンプルに考えたい。もっとその先があると思う。

 

この「幸福=人間のただの主観」という部分だけで終わらせるのではなく、

なんか一言でスパッと言えない小難しい議論やら理論を並べるのではなく、

「幸福=人間の主観」というところに、まさに「シンプルな真の幸福」のヒントが隠れてると僕は思いました。

 

「幸せ」とは、ずばり「本音で生きてる」ことではないか

では、僕が考えた、人間の根源的な究極の「幸せ」とは何か。

 

それが「本音」を叶えて生きているかという点ではないかと僕は考えます。

 

この「本音=幸せ」という視点をくれたのが、

僕の先輩である「地雷屋」さんです。

⇒地雷屋さんのブログ

 

ぶっちゃけ、

僕はショーペンハウアーの哲学よりも

彼のたった一言の方がしっくりきました。

 

本音っていうのは、ある意味究極の「主観」です。

自分がどう思うか、

自分が本気でやりたいと思うか、

自分が本気で好きになれることか。

本音って、結局そういう単純なことです。

 

究極、本人が、本心から望んでる「本音」なら、

「ド貧乏」でも「ぼっち」でも幸福にはなれるんですよ。

※実際にその状態で幸福を感じられる人間がいるかは別として。

 

だから、僕はネットビジネスを発信していても

「みんなネットビジネスをやれ!他は死んだ方が良い!」

ということは絶対に言いません。そんなの嘘だし。

ネットビジネスをやらなくても本音で自分らしく生きられるならいい。

 

話を戻します。

 

「本音」こそが僕ら一人一人の幸せの「答え」に限りなく近いはずなんだけれども、

実際問題として多くの人は、なかなか「本音」を出し切って生きられないのです。

 

本音を「多少譲る」というのは他人と共存して生きていくうえで必要だけど、

下手したら本音10%すらも出せずに抑圧して生きてる人が大半なのではないでしょうか。

 

その理由が、もちろん

「他人から、周囲から幸せに“見られたい”“見られなくてはならない”

という周囲の目が邪魔をしている場合が多いせいでしょう。

 

だから、多くの人は妥協して

「社会的承認の上に成り立った“幸せ”」

を求めようとします。

 

さっきの例で行くと、

本当はロケットが作りたかったんだけど、

なんか働いているうちに指導者・経営者としての能力ばかりが期待され、

そっちに本来の欲求からズレて」しまった人のような状態です。

 

「自分で設計したロケット飛ばして、お前と故郷で結婚するんだ!」

と言ったんだけど、その約束や本音を果たせないまま、

別の女性に愛され、成り行きでくっついてしまった。

 

確かに、

人には必要とされるし、

すごい褒められるし、

人から愛され尊敬される。

 

「でも、俺は本当はロケットを作りたかったんだよな・・・」

 

この「本音」が封印され手心残りになっている以上、

彼は真の意味で満たされることはない、幸福にはなれない。

 

僕はそう思います。

 

こういう「本音」を、

「くだらない、ぜいたくな奴だ」

「今の幸せを大事にすればいいじゃん」

という人もいるでしょう。

 

また、

彼が「心の整理」をして、

実際に今の状況を「幸せ」と納得する。

 

これができればそれもOKかも知れません。

 

が、少なくとも

「社会的成功や社会的承認」=「幸せ」

とは限らないし、「幸福感」で大事なのは

本音を達成できているかどうかじゃないか」

というのは、かなり多くの人にしっくりくるのではないでしょうか。

 

これなら、

  • 「幸せは自分の気持ち次第」
  • 「幸せは、人間の妄想・思い込み」
  • 「何が幸せかは、自分で決めるもの」

 

というような、

ほかでよく見る「幸せとは何か」議論とも矛盾しないと思います。

 

また、たとえ

「他人に認められ、受け入れられることが幸せ」

という「社会的承認欲求=幸福」という人でも矛盾はしません。

 

つまり、今日の内容をまとめると

  • 幸せとは「主観」=「本音」を貫いて生きていけるかに左右されるのではないか。
  • だけど、多くの人はみんな「幸福に見られたい」方にずらされている。
  • つまり、幸せになる第一歩は「自分の本音」と向き合うことではないか。

 

ということ。

 

もっと乱暴に一言でまとめれば、

「幸せ=本音を叶えて生きる」

ことなんじゃないかと僕は思います。

 

「本音が幸せにつながるなんて分かってる、でもそれができないから幸せになれないんだ」

と言われるかもしれませんし、夢想だという人もいるでしょう。

 

でも、少なくとも

「幸せって何?」

「それを阻んでるものは何?」

というのを考えるのは絶対意味があると思ってます。

 

たとえば上記のように「本音=幸せ」と定義したうえで、

「本音を阻んでるものの正体」を突き止めた、とします。

 

それが親だったり、会社だったりは人それぞれでしょう。

 

でも、少なくとも「何が原因か」がはっきりした。

これだけでもすげぇじゃん。

 

だったら後は簡単。

親や会社から離れるとか、

離れた後の計画を考えるとか、

やるべきことも明確に分かってくる。

 

自分の幸福を阻んでるものに気付いて、

それを遠ざけたり対処をすることで、

確実に幸福に向かえるはずですよね?

 

最悪なのが、

「なんで幸福じゃないのかが分からない」

「どうすれば不幸から遠ざかれるのかも分からない」

という状態です。

 

これだとどうしようもないですよね。

 

まさに、

「何か分からんけど山には行きたい。けど、具体的にどの山に行きたいかも決めてない」

という状態になります。

 

でも、

「富士山」「鉢伏山」「六甲山」

どこでもいいから決めてしまえば、

後はその山に登る方法を探すだけです。

 

だから、結局僕が言ったように、

僕らが幸せになるにはまず僕ら自身の

「本音」を知らなきゃどうにもならないんです。

 

周りからバカにされるような本音でもいい。

けしからんと言われるような本音でもいい。

 

まずは、自分の本音を言ってみろってことです。

 

まとめ:幸せになりたいあなたへ!

最後に・・・

 

こう考えると、

「幸せを追求するって、意外に強い意志が必要になることだな」

とすら思えてきます。

 

「自分の幸せを追求する=楽な方に逃げる」と、

決めつけちゃう人が世の中にはいっぱいいますが、

実はそれこそが本当に大変なことなのかもしれません。

 

自分の本音を貫き通し、

幸せだと信じることって、

「自信」も必要ですからね。

 

そして、今の社会というのは

「自信」を持ちにくい時代なんですよ。

だからこそ、本音を貫くのも難しいのです。

⇒弱点を見ていたら「自信」は絶対つかない

 

で、

本当は難しい事を「楽な道」みたいに思うから、

そりゃあうまくいくわけないですよ^^;

 

そして、

この困難な道を「応援」する人が

ほんとうに少ないのも困ったもんです。

 

むしろ

「自分の幸福を求めるなんて、なんてやつだ!けしからん!自己中だ!」

みたいにぶっ壊してくる人もいるからね。

 

いやいや、むしろ本音を追い求める

あなたはすごく頑張ってるんです。

 

むしろ「個性尊重」「夢」とかいう

単語を並べながらそれを全く体現できてない、

体現させてくれない社会こそどうなんだよと。

 

そういえば、

「会社を好きになれ!」

「仕事を楽しめ!」

とかいう上司や大人が世間にはいっぱいいるけど、

それが全部「口先だけ」だと示すデータも発掘されてます。

⇒米調査「日本は「熱意あふれる社員」の割合が6%しかない」

 

くだらねぇ。

 

日本では本音で生きてる大人が全くいないんじゃん。

だから、「本音=幸福」が正しいとしたならば、

94%の人は満たされていないんですよ。

 

そりゃあ、

子供も大人をナメるに決まってるよねって話。

こいつら嘘ついてるな、真似してたら不幸直行だなと。

 

大人の中にも、

たとえばこのブログを読んでくれてる人のように

「今の社会って何かがおかしい、モノはあっても幸せになれない」

と感じている人も多いと思う。

 

でも、政治家や会社の社長、あるいはメディアは

そういう「違和感」を感じることを許さないし、

なんだったら「怠惰」「ニート」のレッテルを貼る。

 

いやいや、フェリスも言うように、

「怠惰とは働かないことじゃない。」

「自分の人生の主導権を自分で握ろうとしない」

ことこそが「本当の怠惰」なんですよ。

 

間違ってるのは社会。

社会に疑問持ってる方がむしろ正しいんだよと。

社会は変わりつつあるということはいろんな人が言ってる。

 

だったら僕は、周りにバカにされていようが、

「自分の幸福=本音」を探す旅をしてる人こそ

困難に挑む勇気も熱もあるし、立派だと思います。

 

彼ら、あるいはあなたこそが

「次の時代の勝ち組」なんだよ、と。

 

もちろん僕も、今までは確実に

「本音」で生きてこられなかった、

「負け犬」の側の人間だったでしょう。

 

大人からそういう教育を受けてきたし、

集団に生きる中でいろんな経験もありました、

 

その中で自己否定をして

「自分の好きな趣味は、社会的に認められないからダメなんだ」

「つまり、自分は成功したらダメなんだ」

「幸せになる資格なんてないんだ」

 

くらいに思っていた時期もありました。

 

今でこそ色んな人や、

ネットビジネスと出会ったおかげで変わったけど、

あのままサラリーマン続けてたらと思うとゾッとします。

 

他にもよくある困った人が

「今辛いのを我慢すれば幸せが待っている!」

とか嘘ついてくるのも嫌ですよね。

 

だって、

看護師に聞いた「死に際の後悔No1」は、

「もっとやりたいことをやっておけばよかった」

なんですからね。全然報われてなくてビビるわ。

 

いいですか、

「我慢することそのもの」に意味があるんじゃないです。

我慢の先に「報われる」という確信があって意味がある。

 

そもそも「方向性が明らかに違う」というのが丸わかりで、

「今のまま我慢して働き続ければ・・・」なんて思うのは、

もはや 現実逃避 に等しいです。

 

自分の本音と向き合わないうちは

僕らは絶対幸せにはなれないし、

そこへ向かうこともできない。

 

我慢してるだけで、何がどう幸せになるものか・・・と。

 

だから、絶対に「本音」を大事にしてください。

 

少なくとも、僕はそうしています。

 

いや、正確に言えばネットビジネスで時間とお金を得たことで、

「自分の本音」と、ようやく向き合って生きていけるようになった。

「本音」に向かっているというだけでも「だいぶ幸福」まである。

 

今の僕は、

「今やってることは、本当にやりたかったことなのか?」

「何のためにビジネスを始めたのか?何がしたかったのか?」

「何で自分は会社勤めが向いてなかったのか?」

 

これを考えた結果、ちょっとずつ自分の「本音」を見つけています。

 

  • 僕は「創作」「作る」ことが昔から大好きだった。できればずっとそれをやりたかった
  • 僕は「歴史」の「人物の生き方」に興味を持っていた。彼らが僕の友人であり先生だった

 

・・・とかね。

 

でも、たぶん多くの人はこの

「本音と向き合う最低限のスタートライン

にすら立てていません。社会的承認のために思考力を奪われてる。

 

僕はたまたまネットビジネスという

「価値観や本音に干渉されにくい世界」を見つけたから、

そこに飛び込むことで「ひとまず」抑圧から脱しました。

 

だから、

昔の僕のようにブラック企業で飼い殺しになってるとか、

抑圧で人生が「クソ」と諦めかけてしまっている人には

是非ネットビジネスなどの新しいことに挑戦して欲しい。

 

でも多分、

ネットビジネスにこだわる必要はないし、

そのやり方は人それぞれです。

 

ひょっとしたら、僕がこうやって

「幸せとは、本音を叶えることだよ」

という意見を言っただけで、

何かしら一皮むける人もいるかもしれません。

 

あるいは、僕の言葉に反発した末、

真逆の行動を取って自分の「幸せを見つける」かも。

 

もちろん、僕が選んだ

ネットビジネスという選択肢」が、

あなたの「本音」を叶えるのに最も都合のいいルートなら、

僕はまだまだ「あなたの役に」立てるでしょう。

⇒「康太」公式メルマガ「ハイパーボヘミアン幸福論」

 

まあ、何が幸福かは人それぞれなんです。

 

その「人それぞれ」の根幹は、

みんなが心の中に持ってる「本音」。

 

その「本音」を実現していく、

本音に嘘をつかない生き方を出来る、

もしくは「目指せる」だけでもそれは幸せなことです。

 

長くなりましたが、それが僕の考える「幸せ」ですかね。

 

是非、

あなたが自分なりの「幸せ」を目指せるよう、切に願っています^^

 

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ネット業界について、世の中の発信者は極論だらけ。

●「情報発信は詐欺ばかりだからやるべきでない!」

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ネットを眺めていると、ネットビジネスを勧める者も叩く者も、上のような極論ばかりです。

公平な立場で僕ら後発者に「ネットビジネスの実像」を正しく教えてくれる人がいません。

 

でも、僕らに必要な情報とは、

「光も闇も知ったうえで、それでもネットビジネスの世界を歩んでいける知識」

のはずです。

 

このブログの管理人、「ザ・ニート神父」は、このネット業界にあってかなり数奇な経歴をたどっています。

  • 右も左も分からないド初心者(情弱)としての立場
  • 最悪感まみれな「情弱狩り」を強いられた立場
  • ネットビジネス成功者の立場と、挫折経験者の立場
  • スクールやコミュニティをさまよって300万溶かした立場
  • 自分の行動力や(黒さに耐える)精神力に限界を感じた立場

 

僕がこれまでしてきた経験とは、まさに希望も不安も入り混じったネットビジネス業界の「縮図」です。

 

恐らく、初心者に寄り添いつつも、稼ぐこともやっていかなければならない。そういう視点で「ネットビジネス業界」を本音で語ることができる人は、僕以外いないでしょう。

 

そんな僕が最終的に辿り着いた「本当に不安やメンタルの犠牲なく稼げるネットビジネス」を、あなたにシェアしたいと思います。

 

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