康太です。
今回は、僕がこのブログで、
「メンタル弱者、不安に踊らされやすい、批判に弱い」
人のための成功論を発信している理由を喋っていきます。
僕は「ダメ人間、凡人」だったからこそ、今の発信をしてる
そもそもの話、僕がネットビジネスを始め、
最終的に「このブログ」を立ち上げたのは、
「僕のように、上手く世間のレールに乗れないダメ人間・凡人」
のための「生き方」が必要だと思ってるから。
もちろん、僕自身も欲しいと思うし、
「声のでかい人の発信」に埋もれているだけで、
同じことを思ってる人は絶対多いと思う。
今から説明するように、今の世界というのは
「超絶すごい人」「ぶっ飛んだ人」が発信する
「天才やサイコパス専用の成功論」ばかりの世界。
そして、公の場で声を出して発信しているのは、
だいたいこういう人達だけだから余計に性質が悪い。
いわば、
「選挙に行くことができるのが大人だけだから」
「今子供で、将来のことを見据えた政治に票を入れたくても、入れられない」
「だから、未来の世代を無視した現役世代優先の政策に偏ってしまう」
という今の政治の弊害をイメージしてもらえれば分かると思いますw
ぶっちゃけ、僕は個人個人が「幸せに生きていく」ための
マインド論や成功論、あとは「常識」についても、
いい加減考え直すべき時期に来てると思っています。
「自己啓発本」=「すごい人専用の成功論」が嫌いな僕。
いきなりですが、
僕は「自己啓発本」の類は好みではありません。
むろん、
すべての自己啓発を否定するわけではないけれども、
基本的に自己啓発の大半は「僕らには不要」だと思っている。
この理由わかりやすく言うと、
冒頭の話に繋がってきます。
要は、
「世の中の大半の自己啓発セミナーや本の類は、誰にでも真似出来るようなものではない」
だから僕は価値を感じないし、好きじゃないのです。
自己啓発は、持っていれば嬉しいだけの
「コレクション」ではないですよね?
僕ら自身の人生をよりよくするための、
「体現」「実践」が伴ってこそ意味があるもの。
しかし、実態はどうか。
多くの人が自己啓発本やら、
自己啓発セミナーを受けては、
「一瞬だけ」変わった気分になる。
で、3日もすれば綺麗に忘れ、元に戻っている(笑)
大体、そんなものではないでしょうか・・・^^;
むろん、中にはその自己啓発をきっかけに、
本当にマインドや行動を変えて、生まれ変わった人もいる。
しかし、世間の90%以上は、おそらく自己啓発を
取り入れても「取り入れた気になってる」だけです。
続かない、実践できない、分かった気になって終わり。
・・・こうなる場合が大半なわけで。
確かに、「ありがたい話」「すごい人の話」を聞くのは、
あなたの人生にとって刺激になるのかも知れません。
ですが、それは強壮剤を飲んで、
一時的に「最高にハイ」になるのとあまり変わりません。
それが持続するかどうかが問題なのです。
「感動」「感銘」を得るだけなら、
なにも何万もする自己啓発セミナーや、
色んな書店で、でかでかと宣伝されている
「自己啓発本」を買い漁ることもなかろうという話です。
「実践」「自己進化」に繋がらなきゃ、
わざわざ苦労してまで自己啓発を漁りまくるのは、
何の価値もないのではと、僕は思ってしまうんですね。
自己啓発が無駄になるのは、読み手の責任?
むろん、これに関しては反論もあるでしょう。
たとえば、
「自己啓発を無駄にするのは、本人の心構えの問題だ」
「自己啓発自身が無価値なのではなく、活かせない人が悪いのだ」
・・・と。
もちろん、それはある面正しいです。
勘違いしてほしくないのが、
僕は自己啓発で教えるような「マインド論」
そのものは全くもって「否定」していません。
マインドは、人生をよくするために必要ですからね。
でも、世間の自己啓発本の大半は、それをちゃんと伝えられない。
伝え方が、一方的過ぎて多くの人々が落とし込めないもの。
だから、僕は「世間の自己啓発」が嫌いなのです。
僕も、色んな人に教えてきていて
「これは根本的にマインドから変えないとまずいだろうなー」
と思う人もたくさん見てきています。
ですが、彼らに無理やり
「成功マインド」「自己啓発」を押し付けたところで、
いきなりその人が心を入れ替えることなどできるでしょうか?
具体的に言うと、
若い頃からぶっ飛んだ人生ばかり送ってきた人が、
普通の生き方をしてきた「凡人」にその話をして、
その人生論がそのまま活かせるかという話です。
むろん、「参考にできる部分」くらいなら
いくらでもありますが、恐らく大半の人は
「すごいなー、でも自分にはピンと来ないし」
で、終わってしまうと思います。
全く背景も性格も違う人間の「俺流哲学」を
いきなり押し付けたあげく、「活かせないお前が悪い」。
これはおかしいだろう、という話ですよねw
こういう「押しつけがましさ」も、
僕が世間の「自己啓発系」の情報を嫌う原因でして。
形の合わない器に、いきなり巨大な岩を
ぶち込んでも「収まる」わけがないのです。
つまり、僕が主張したいのはこう。
多くの人は、
「自己啓発を実践し、活かせない人が悪い」
というけど、僕はその逆。
「普通の人に活かせもしないような、”自己啓発”や”成功論”ばかりなのが悪い」
・・・と。
マインド論は大事なんだよ。
成功論も取り入れるべきなんだよ。
でも、その多くは
「すごい人」や
「元から何かしらぶっ飛んでる人」
のための成功論ばかり。
ここが大いに問題なのであって。
なぜこれがまずいのかと言いますと、
考えてみればすごい当たり前のこと。
「世間の8割以上を占める”普通の人”が、
2割以下の”すごい人”の真似事をしようとしたら、
そりゃあ、大半の人が挫折して当たり前だよね」
という話です・・・(笑)
いわば、「すごい人」というのは、
「少数の飛びぬけた人」だからこそ
「すごい人」なのであって、皆が皆
「すごい人」になるのは無理。
いわば、定員が20名ちょっとのバスに
10000人で押しかけるようなもので、
全員が乗るのはどうやっても不可能ですよね?
みんながみんな、「とびぬけた人」の
「真似事」をして成功しようとしたところで、
本当に成功できる人は限りなく少ないのです。
こういうと、
「結局、成功者は並外れた才能があったり、並外れた努力をするしかないのか・・・」
と思って落胆する人もいるかも知れません。
ですが、僕はそれも誤解だと思っています。
むろん、この誤解を植え付けているのは
世間に溢れかえる「すごい人前提の自己啓発」
なのであり、私達が悪いわけではないのですが。
敢えて言っておきます。
「凡人」だろうが、年収1000万くらい稼いで
気楽に楽しく生きるのは可能だし、凡人なりの幸せを
大事にして生きることは十分可能だと思っています。
そもそも、別にお金なんかなくても幸せな人は幸せなのです。
「成功者」とは何か?
この定義を僕なりに語るなら、
「自分らしく、自分が一番楽しく生きられる場所で生きている人」
のことです。
みんながみんな、世間で言う
「超金持ちで、超才能があって、行動力もあって、すごい夢もあって・・・」
みたいな「すごい人」の行動パターンを
真似して生きる世界になったらどうでしょう?
はっきり言うけど
「気持ち悪い」ことこの上ない。
しかも、そういう人達が押し付ける
「すごい人流の幸せな人生」のせいで、
世間の大半の「普通の人」が不幸になっている。
つまり、
「本人にフィットした幸せの形を見失わされる・否定される」
「やりたくもない努力を要求され、ただ苦しむだけになる」
「結果、自分の限界ばかり思い知らされて絶望する」
・・・これが、不幸でなくて何と言うべきでしょうか?
「凡人は凡人なりに」というのは、
- サラリーマンとして律義に週五日働き
- 普通の家庭で、普通の生活をして・・・
- ダメ人間はそれにふさわしい底辺生活を・・・
という人生で満足しろとか、
そういうことを言ってるのではありません。
むしろ、
- 凡人またはダメ人間だけど、死ぬほど旅行が好きで、いつもどこかで旅してる
- 決して上手くはないけど絵が好きで、毎日絵を描いて過ごしている
- 天才的なビジネスの才能はないけど、ほどほどなお金を自動で稼いでのんびり生きている
- 世間的にはダメ人間だけどお金も稼げて、ネオニートして暮らしている
こういう感じで、
「凡人」や「ダメ人間」でも、
「自分なりに満足できる生き方」を
見出ことは可能だと思っていますし、
むしろ積極的に追及してみるべきです。
「自由な生活」
「お金がある生活」
「自分の夢を追い続けられる生活」
こういうものが、
「天才」や「超人」だけの専売特許みたいに
なってるのが僕は「おかしい」と思っていますし、
そういう誤った常識を植え付けているものが存在します。
それこそが、まぎれもなく
「すごい人専用の自己啓発系メディア」
「天才にしか実践できない幸福論」
ではないかというのが僕の考え。
本当に僕らに必要なのは、
「世間の大半の人でも実践可能な」
幸福論や成功哲学なのではないでしょうか?
誤解のないように言っておくと、
僕は別に、「凡人」であることに
こだわることもないと思いますし、
「気が付いたらすごい人と言われるようになってた」
というなら全然構いません。
でも、「無理に変身しようとする」のは
苦しいだけだと思いますし、多分無理です。
むしろ、「気が付いたら」という
感覚こそが大事なのであって。
それは僕の「無理せずに幸せになる」という
「凡人流幸福論」の理念にも合っているし、
自然発生的な成長ならどんどんしていいと思います。
でも、それが「無理させる」「努力させる」
類のものではダメだということです。
「やる気があれば何でもできる」だなんて、
「ウソ」というのはあなたが一番よく分かっているのでは?
まだこの迷信はなくなっていないようですが、
「歯を食いしばって努力したこと」というのは、
僕らが思う以上に「報われない努力」なのです。
この「努力」という、
多くの人間の尊厳と命を奪ってきた
言葉についてもまた別の記事で語ります。
「凡人のための自己啓発」こそが必要とされているはず!
何はともあれ、僕がここで言いたいのは、
「すごい人専用・またはすごい人に変身すること前提の自己啓発に縛られる必要はない」
ということです。
なおかつ、
「世間の大半を占める”凡人以下”の人々が、無理なく実践できる幸福論や人生論が必要!」
というのが僕の大事な理念であり、主張です。
なおかつ、僕は実生活において、
「凡人なりの、気ままな生き方」を
フルに体現していくつもりだし、
このブログでその経過を余さず発信します。
多分、あなたもそうかもしれませんが、
多くの人は「すごい人のための成功論」には、
いい加減「うんざり」しているのではなかろうか。
その違和感は、きっと当たっているはず。
もし、世間の大半の「凡人」を
「すごい人競争」の呪縛から救うことに
あなたが協力してくれるなら幸いです!
「凡人なりの自由と幸福」を手に入れる方法とは
僕が今、「ハイパーボヘミアン」という生き方に
シフトできたきっかけは、ネットビジネスです。
むろん、
ネットビジネスで自由にならないといけないわけではありませんが、
僕の場合、自由や自分の夢や好きなことに完全コミットするために
「最も都合がいい」生き方がネットビジネスであると思っています。
僕のサイトでは、基本的にノウハウ部分は
「完全無料公開」していく方針ですので、
興味があれば是非応援してくださいませ。
⇒ネオニートになるのに最も都合のいい生き方・「ネットビジネス」とは?
また、僕の無料メルマガでは「メンタル弱者」の僕が、
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