「自分はダメ人間」
「ダメ人間な自分を脱出したい」
こう考えている人は非常に多いのではないでしょうか。
まあ、僕も世間的に言えば「ダメ人間」の一人です。
今回は、そんな「ダメ人間」についての僕なりの考えを述べていきます。
世界一「自称・ダメ人間」が多い日本
この「ダメ人間」というものに関して、特に日本人はやたら厳しいように思います。
非常に面白い統計を見つけたので引用しますが、日本人の自己肯定感低すぎるやろ!と驚きましたね笑
『日本青少年研究所』が青少年について定期的に調査を行っていますが、2012年に実施された日本・アメリカ・中国・韓国の高校生約7,200人を対象にした調査結果は、今の子ども達の心の状態を浮き彫りにするものでした。
「僕は他の人々に劣らず価値のある人間であると思うか?」という質問に対しては、「よくあてはまる」と答えた割合は、アメリカが46.1%、中国37.4%、韓国36.5%でした。それに対し、日本はわずか7.3%だったのです。
また、こんな問いもありました。
「自分はダメな人間だと思うか?」に対しては、「よくあてはまる」と答えた割合は、韓国が3.7%、中国11.5%、アメリカ19.45%と軒並み低めなのに対し、、日本は36.0%と突出する結果に。
このように、今の日本の子ども達は、諸外国の子ども達と比較しても、自己肯定感が著しく低いのです。
引用元:https://itmama.jp/2015/03/12/72273/
「自分はダメ人間か」という問いに対し、2位のアメリカの19%を大きく引き離し、1位が日本の36%とダントツです。
いかに、我々日本人が自虐的かが分かりますね。
でも、ぶっちゃけ世界的な教養レベルやスペックで考えれば、全然トータルでは「ダメじゃない」日本人も多いはずなんですよね。
逆に、日本基準では「優秀」でも、外国基準では「無能」だったり、そういう事例も後で紹介するようにたくさんあるんですが・・・。
それはともかく、この「ダメ人間」というのは明らかに一種の「妄想」であり「思い込まされている」ものです。
さらなるヒントとなるのが日本人の「自己肯定感」の低さ。
「僕は他の人々に劣らず価値のある人間であると思うか?」
という別の質問に対して「よくあてはまる」と答えた割合は、米・中・韓が4割近くいるのに対し、日本はたった7%。
つまり、多くの日本人は「自分に価値がない」と思っているわけです。
しかし、例えばこの記事を見てください。
日本の教育レベル:
https://ironna.jp/theme/280
ぶっちゃけ、日本人のレベルって、世界的に見れば全然「ダメ」ではないと言えるのではないでしょうか?
現代社会においては初等教育レベル=労働力としての基礎力なので、これは十分に「全然ダメ人間じゃないじゃん」と思っていいはず。
そもそも、世界人口の「大半」の人は読み書きや計算すらまともにできない、つまり労働力としてはからっきし使い物にならないレベルの人が大半なんですよ。
その点は伝説のブロガーである「海外ニート」氏も主張していたことで、
「高レベルな基礎教養があり、しかもまじめで遅刻もしない日本人は世界的に見ればエリート集団、日本の基準が狂ってるだけ」
とおっしゃっていましたね。
つまり、日本人はかなり自己を「過小評価気味」しがちだということ。
同記事では、この理由について「競争社会になったから」というようなことが書かれています。
しかし、競争社会だから自己肯定感が低いというのは早計です。
なぜなら、「アメリカ」がバリバリの格差社会&競争社会なのはご存知でしょうし、最近何かと話題の中国なんて、格差レベルで言えば「論外」です。
韓国だって、下手をすれば日本以上の「受験競争社会」ですし、「財閥」に入れた人が「エリート」として認められるという、米中に劣らない「十分バリバリの競争社会」なのです。
※韓流ドラマとか好きな人はよーく見て欲しいのですが、韓流ドラマは歴史ドラマ以外、だいたい「財閥の御曹司」とか、「令嬢」とかが出てきます。韓国では、受験競争に勝ち抜いて、いい財閥の会社に入ることがイコール勝ち組なわけですね。
ところが、これらバリバリの競争社会である3国・・・すなわち「米・中・韓」の人々がいずれも日本人より「前向き」に生きていることに注意する必要があります。
つまり、「競争社会だから」というのは正確な答えになっていないのではないでしょうか。
結果、「ダメ人間」=「社会で価値がない」という観念を「僕達日本人」に植え付けている犯人は「日本社会特有の何か」しかありません。
日本人を「自分はダメ人間だ」と「過剰なまでに」思わせてしまう、何らかのおかしな社会構造がある、ということになります、
まあ、ここでは日本社会をディスっても仕方ないし、そういう趣旨の記事でもないので追求はしません。
しかし、統計が示すように、僕たち日本人は過度に自分達を「ダメ人間」と思う傾向があることだけは知っておいてよいでしょう。
しかし、海外に行ってきた僕の師匠・福田さんの言葉を借りると、
「日本人は日本に生まれただけで超絶有利」
であり、決して自己卑下をすることはありません。
言ってみれば、北斗の拳に出てくるバカ強い戦士ばかりが生存している修羅の国のようなもので、外国に行けば無双できるような名もなき修羅が、国内では「弱い方」になってしまっているだけなんです。
・・・問題は、外国語の能力ですが。
ダメ人間の定義ってなんやねん
さて、多くの日本人が自分を必要以上に「ダメ人間」と卑下してしまっていることが分かったのですが、
「そもそも”ダメ人間”とは何をもって言っているのか?」
・・・という問題が出てくるわけですね。
これがなんとも難しい問題です。
一応、「ダメ人間の定義」ということに言及しているサイトはいくつもあります。
たとえば、以下のようなサイト。
参考1:
参考2:
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/001.htm
大体総合してみると、ここで言う「ダメ人間」とは、
- 解決すべきことを先延ばしにする
- 自分に甘く、同じ失敗を何度も繰り返す
- 自己管理ができない・継続力がない
- 仕事がない・お金が無い
などなど・・・
ぶっちゃけ、こういうのは「日本人はみんな白米を食べているから長寿だ」理論と同じで、「一つも当てはまらない人間」が逆にいるのかという疑問が大いにあるのですが^^;
ただ、個人的に思うのは・・・
「時間管理」「仕事のあるなし、収入」など、そういう要素が「ダメ人間判定」に使われる関係上、「ダメ人間」の定義というのは、今の「文化」と深い関係性があるのではないでしょうか。
特に「会社員としての能力」というとわかりやすいかもしれません。
「無能」というニュアンスなのか、そうでないのかいまいちわかりません。
ただ、少なくとも「日本の会社では不適合な人間」が「ダメ人間」として扱われているとしたら・・・なんと一面的な評価ではないか。
たとえば、さっき言ったように日本における「優秀な社会人」が外国では「無能」扱いされることもあります。
参考サイト:http://getnews.jp/archives/502608
逆に、アメリカでは「無能」とされるような人が、日本に来れば英語もできて、協調性もある優秀な人という評価に逆転する可能性だってあるわけです。
つまり、日本にしろ外国にしろ「ダメ」の定義すらそもそも違っています。
もっと言えば、会社単位でも有能無能は簡単にひっくり返るものではないでしょうか?
「ダメ」というのは大抵の場合、「その場所、その国、そのコミュニティから見れば」という限定的な条件下に限る場合が多いというわけ。
たとえば「時間管理ができない」というのが「ダメ人間の特徴」だという意見がありました。
じゃあその「時間管理」は何をもって「できている」とするのでしょうか?
実は、これについても日本と海外では全く「時間管理ができる人」の定義が違います。
以前、テレビで面白い話を聞きました。
たとえば、日本人は「13:00に集合してください」と言われたら、12:45とか、12:30とかに集合します。
12:59分とかに来たら、絶対怒られますwそれが日本です。
多分、日本では「x分前行動」というのは賞賛されるというか、当たり前とされる行動です。
日本人視点では「ちゃんと時間を守っている」というわけですね。
そんなの当たり前、と思うあなたは良くも悪くも日本人です。
実は、海外ではこの日本人的な「時間を守る」という概念は全く通用しません。
印象に残っているのは、ある外国人の女性が憤慨してこう語ったことです。
「日本人は全然時間を守ってくれない」
「日本人は、指定時刻前なのに平気で来る。」
「13:00集合だって言ってるのに、時間前に来んなよ」
要は、日本人が当たり前のようにやっている「時間前行動」が「指定時刻を守らない行動」として、海外には映っているわけですね。
これを見ると、「時間を守る」という基準すら文化や社会によって全く違うことが分かります。
まして、日本人が言う「自己管理ができる人」「できる人」という定義が、海外に視野を広げると全く通用しない可能性があることが分かりますね。
要は、「ダメ人間」という定義の要素となっている「自己管理」とか「こういう人が出来る人」という概念すらも、非常に曖昧で、よく分からないものということになってしまうのです。
「ダメ人間」と自己卑下するあなたへのアドバイス
こう考えると、結局「ダメ人間」という概念は、
「特定の環境でしか通用しない、すごく狭い概念」
「つまりは、半分ただの妄想」
としか言いようがなくなってしまうのではないでしょうか。
ダメ人間なんて概念は、これまで述べたように「社会や時代」さらに「業種やコミュニティ」が変わっただけであっという間に覆るかも知れません。
そんなものを気にして、自分を責めたり、世の中を悲観してしまうのはもったいないことです。
そんな「自称ダメ人間」から脱出したいあなた、ダメ人間から変わりたいと思っているあなたに、同じ「ダメ人間」からのアドバイスをいくつか。
「ダメ人間」は社会が生み出すもの(だから気にすんな)
結局ですね、僕が言いたいのは
「ダメ人間は、その社会の価値観に合わない人」
という意味合いが強い。
「本当の意味で何もできないダメ人間」
というものは、この世に存在しないのではないでしょうか。
さすがに、ただ人を傷つけて楽しんでいるような人、迷惑をかけるだけの人は「ダメ人間」あるいは「クズ」と言ってもいいかも知れません。
しかし、「本当の本当に何の役にも立たないダメ人間」というのはこの世に存在しないのではないでしょうか?
いや、「役にも立たない」という色眼鏡で見ている時点でぶっちゃけ「社会にとって役立たないからダメ」という一方的な思い込みから逃れられていないと思います。
たとえばです。
鳥から見れば魚は「空も飛べないダメな生物」かも知れません。
しかし、魚から見れば逆に鳥は「泳げない無能生物」なのです。
結局、「ダメ」とか「無能」とか人を評価する時って、大抵の場合は「鳥から見れば」「魚から見れば」という、「○○から見れば」という条件が100%付くものです。
要は、その人を評価する奴の「主観」でしかない。
日本で言われる「ダメ人間」あるいは、人間社会で言われる「ダメ人間」というのも、
「会社から見れば」
「この業種から見れば」
「自分から見れば」
という、「特定の人、集団、社会」からの、偏ったモノサシで評価されているにすぎません。
さらに、時代による価値観にも左右されます。
青銅器時代や戦国時代、「最も優秀な人間」というのは「強い」、つまり「暴力」という分野に長けた人間でした。
強くて、狩りがうまくできたり、武力で人を支配出来て、武力で国を統一できる人。
暴力の時代ではそういう人が「有能」なのであり、「学者肌」の人「ただ優しい人」は役に立ちません。
つまりは、乱世においては「ダメ人間」というわけですね。
逆に、「雅さ」こそ至上であり、武力など野蛮で、忌避すべき存在とした平安時代においてはどうでしょう。
教養もなく、趣もない「武人」など、はっきり言って差別される存在でした。
また、逆に中国では歴史上何度か
「知識人はダメどころか国の害だから滅ぼせ」
みたいな極端な思想に振れた時代もあったのです。
その時代は、むしろ教養も何もない農民のほうが「国の生産を支える人々」として尊重されたのではないでしょうか。
また、昔は「ダメ人間」のテンプレのような存在だった「ゲームばっかしてる奴」も、今やプロゲーマーとかyoutuberが誕生した現代においては十分有能な人材です。
視聴率が取れる、人を集められる、影響力がデカい。
ヒカキンなんか、ついにTVCMデビューしました。
まさにメディアも、彼の「影響力」のおこぼれにあずかろうと必死ですよね。
このように、「優秀な人間」「ダメな人間」なんて価値観は、国や時代によっては「あっという間に」ひっくり返ります。
もっと言えば、よくあるのが「短所と長所は表裏一体」というやつ。
たとえば、お酒が好きで、声がデカくて押しも強い。
こういう人は「営業職」としては間違いなく「有能」でしょう。
しかし、これが「図書館職員」だったらどうでしょう?
声がデカくて酒好きで、「この本おすすめです!」とか来館者にしつこく勧めてくる職員とか嫌ですよねw
このように、ある場所では長所であることが、ある場所では短所になってしまうこともあります。
逆もまたしかり。
「ダメ人間」に見える人というのは、たまたま「ある特徴」が「短所」にしかならない場所にいるからそう評されるだけ。
たとえば「酒好きで声がデカい」ことが「長所」とみなされる場所に引っ越ししてしまえば、勝手に短所は長所に置き換わります。
今あなたが置かれている環境において、あなたが「ダメ人間」と評価されていることはあります。
しかし、環境や時代が変われば、あなたはひょっとしたら「自分の居場所」を探し出すことが出来るかも知れません。
こうなると、もはや「ダメ人間」なんていう曖昧な概念に振り回されて「自己卑下」ばかりするのはバカバカしくなりませんか?
「自分はダメ人間」とか、過度に悲観する必要はゼロ。
例えば僕も会社では、仕事のミスはなくならない、仕事が遅すぎる、同僚や上司ともうまくやれない、まごうことなき「ダメ人間」でした。
ですが、今はネットビジネスという世界を見つけて、今は人に知識やノウハウを分け与えるようなこともやってるし、自分なりにとても居心地がいいコミュニティを見つけています。
「人間、生きていれば何とでもなる」
この一見雑で、何の慰めにもならなさそうな言葉こそ、
今の僕にとっては「真理」なんですよ。
転職マニュアルにも書いていますが、環境が変わるだけで、思った以上に人生が激変したりするものです。
ダメ人間の「変わりたい」欲求は「自殺」と同義である
よって、僕は「ダメ人間」と言われようが、気にしなくても良いと思うし、今の環境を思い切って捨ててしまうのも良いと思っています。
個人的には、「ダメ人間な自分を克服する」とか、「変わりたい」というのはあまりお勧めしません。
もちろん、自分を変えることは大事だし、あなたが望むのであればそうすべきです。
しかし、本心では「別に変わりたくもない」のに、無理やり「ダメ人間から変わりたい」と思い込んで自分を変えようとするのは非常によろしくありません。
というか、本心から望んでいるなら、とっくに変化しているはずですからねw
たとえばです。
陸生生物が魚のような水棲生物にいきなりなれるか?
・・・なれるわけがありませんw
陸生生物が魚の真似をして海に潜ろうものなら、ただ「溺死」しますよねという話ですw
同様に、「自分は内気だからダメ人間」と思ってる人が、「ウェーイ系」のように「元気に」と言われて、そうできるかよ、という話ですよね^^;
抑圧されていた本性を解放するとかなら全然いいのですが、 なりたくもないものに無理やり変身させられるって地獄です。
今のあなたの人格や価値観は、それほど軽いものでしょうか?
そういう扱いをされるなら、この国は「思想・良心の自由」など一切認められていないということになってしまいますよね^^;
自分をすべて否定して、全く別の自分に生まれ変わる・・・聞こえは美しいですが、つまりはあなたの本性を「社会との適合のために殺せ」というのに等しいのです。
成人的に「自分を殺し続けた」結果、悲観して人生そのものが「嫌」になり、本当に自分を殺してしまうことだけは避けましょう。
ダメ人間が本当に行うべきは「生きる場所」を変えること!
さて、これこそが僕の最も言いたかったこと。
僕は、「ダメ人間は変わるべき!」とは言いません。
ですが「社会の方が変わるべき」とも言いません。
「俺を受け入れない社会が悪い」という思想になったら、それはそれでただの自分勝手だし、僕はそういう極端な自己中心的思想に染まっているわけではありません。
確かに、今の社会、特に会社勤めなんて、冷静に考えれば無駄だらけに思えますが^^;
少なくとも、今の場所で自分が「ダメ人間」とされるのは「その場所では、自分の能力への需要がない」ということになります。
それについて、いくら社会や他人を責めても仕方ないし、そこは「自分の責任」とするほかありません。
そこで、ダメ人間も、社会も両方尊重した「妥協策」こそが「居場所を変えてしまう」というもの。
人の本性というものはそうそう変わりません。
実際、僕も「大人しすぎる性格を変えたい」と思いましたが、一個もうまくいった試しがないです。
ただ精神的に摩耗して、周りからも無理してるのがバレバレ。
誰も得しないという結果に終わるだけでした。
それに、ある性格や行動パターンを変えようと思えば、それは今ある自分の強みも同時に潰すことになります。
読書好きな人に、「もっと強くなれ!」とか言って筋トレを毎日休まずやらせたりしたら、その人の「読書好き」という強み・特徴すらも崩壊します。
そうなったら、ある意味本当に強みが何もない「無能」な人間が生まれてしまうかもしれません。
こうなっては意味がありません。
ところが、多くの人は「自分の本性」すらも大きく変えて「ダメ人間」を脱しよう、又は「ダメ人間」に見られない人物を演じようとします。
でも、やってみたことがある人は分かるはず。
「非常にしんどい」はずですよね^^;
それはお前が弱いからだ、根性がないからだ、って言ってる奴は、そもそも元から「そういう性格」なのであり、自分たちはそもそも「自分の本質まで大きく否定する」というリスクは一個も背負っていません。
これって、卑怯ですよね?
好きでもない男を好きになれと言われて本心から好きになれる女性はいません。
「先天的な価値観」に対し、「全く別の価値観」を押し付けても無理なのです。
はっきり言って、陸生生物が水中に居場所を求めて泳ぎ回っているのは愚策としか言いようがありません。
さっさと陸に上がらないと溺れ死にますからね^^;
陸生生物がエラ呼吸と魚並みの水泳力を身に着けようと思ったら、それこそ一個体レベルでどうにかなる問題ではないし、種そのものが何万年、何億年とかけて進化していかなければならないレベルですからね。
そんな無茶を一世一代で行えるなら、あなたは間違いなく「ダメ人間」どころか「何億年に一人の天才人間」です。
あなたが天才なのが分かったならそれも良しですが、そこまで自信がない方は、無理しないようにしましょう。
「ダメ人間」が、自分の本性を無理に変えたり、自分を受け入れない社会を無理に否定するのは無意味。
結局、そういう理由から、僕は「居場所を変える」ということこそが「ダメ人間の活路」だと思うのです。
少なくとも、「魚から鳥に進化しましょう!」というような、「無理難題」なアドバイスよりよほど現実的なのではないかと。
今の職場が向かないなら、いっそ辞めてみるとか。
興味のあるコミュニティや繋がりに入ってみるとか。
集団行動そのものが苦手だったり、会社勤めそのものが向いていないなら、いっそ独立してしまってもいいです。
今の時代、独立起業はそれほど難しくもないですよ。
⇒【脱サラ成功例】成功者が教える”100%”安全な起業方法とは?
⇒インターネットビジネスとは?失敗しない選び方と種類を徹底解説!
ネットビジネスで生計を立てられるようにでもなれば、嫌な場所で「ダメ人間」と蔑まれながら嫌々働くこともないです。
むしろ、ダメ人間な自分を楽しみながら、マイペースに生きていけるかもしれません。
むろん、これは一例なので、
「ダメ人間が、ダメな自分を受け入れて幸せに生きる方法」
なんかもまた記事にしていけたらいいなと思っています。
とりあえず、大事なのは「自分の本音」とまず向き合うこと、それがあなたの本当のいるべき場所に繋がる大事な過程です。
最後に:ダメ人間から変わりたいあなたへ
さて、今回は「ダメ人間」というものの成り立ち?や、同じダメ人間として、ダメ人間へのアドバイスを述べました。
まとめると、
- ダメ人間の定義は、そもそも社会や時代、集団によって変わる
- ダメ人間から変わりたい、脱出したいというのは自分を追い詰めるだけ
- ダメ人間から変わりたい人ほど、今の環境自体を変えてみるべき
これが、僕なりの「ダメ人間」へのアドバイスです。
まあ、もっと身も蓋もないことを言えば「環境を変えること自体が嫌な」ダメ人間もいるかも知れません。
ただ、そういう場合は大抵「変わることを強制される」ことが辛いだけであって、「自発的に・気が向いたなら」案外できるものです。
だから、僕も「強制」はしません。
「気が向いたら」ダメな自分と向き合って、それを認めてあげることから始めましょう。
僕なりの「ダメ人間論」は、今後もスキあらば語っていきますw
今回の記事に関して感想・質問疑問等がありましたらご遠慮なくお問い合わせください!
それでは、今回もありがとうございました。