「努力」で通じるのは「受験生」まで。努力は100%「夢中・好き」には勝てない!

康太です。

 

今日はどんな話をするかというと、

「人類の永遠の課題の一つ(?)」である、

「努力 vs 夢中(好き)」

という命題について語りたいと思います。

 

これは、多分あなたを含め、

多くの人が散々悩んできたであろう命題のはず。

 

中には、考えることそのものを放棄するくらい

苦しめられ、悩みぬいた人もいると思います、

 

でも、「自分が求める人生」を追求するにあたって、

この問題というのは絶対避けられないわけでして。

 

これを乗り越えないと、

「自分」というものを見つけることもできないし、

「自分の求める人生」を見つけることも不可能です。

 

目的地も分からない、

自分が欲しい財宝があるかも分からないのに

宝探しに出かけるような人はいないですからね。

 

「好き」と「努力」に関する理解は、

そのくらい重要だと僕の中では思っています。

 

さて、話を戻しますね。

 

「好きこそものの上手なれ」

「努力はウソをつかない」

「努力は才能に勝る」

 

などなど、「努力vs夢中(好き)」の

バトルはいまだに続いています。

 

苦しんででも、努力することに価値があるのか、

好きなこと夢中にやっていく方が価値があるのか、

・・・同じ悩みを持っている人は多いのでは?

 

ただ、僕自身はこれに関して割と明確な

「意見」というか、「答え」が自分の中にあるつもり。

 

なので、異論はあること承知の上で僕なりに

「努力と夢中(好き)はどちらが勝るか?」または、

「努力さえすればなんでもできるというのは正しいのか?」

という議論の結論を述べてみたいと思います。

 

この記事を読んで欲しい人を一応挙げておくと、

  • 努力ゴリ押しの風潮に疲れている人
  • 好きなことばかりやるのを否定された人
  • 努力とか好きとか才能とか、そういう議論に対する一つの意見を聞きたい人

 

以上のどれかに当てはまるあなたには、

何かしら新たな視点が得られる記事になれば幸いです^^

 

「努力」「好き」「夢中」それぞれの立ち位置

さて、一応今回の記事で考えようと思うのは、

  1. 努力
  2. 好き
  3. 夢中

 

という三つの状態についてです。

 

多分、これらのどの単語も人によっては定義が違うと思います。

 

なので、分かりやすいように共通認識を持ちたいので、

僕なりにこの三つの言葉を定義しなおしましょう。

 

1、努力

好きではない、どちらかと言えば苦手意識のあるものに

対して「歯を食いしばって」取り組んでいる状態。

 

歯を食いしばって頑張った「努力」の結果

できるようになった成果であるだけに、

非常に達成感と価値があるもののように思える。

 

・・・が、実際は努力でできるようになったことの

成果は「平凡レベル」でしかないため、言うほどでもない。

 

2、好き

好きでやってるから楽しい。

 

好きでやっているため、

「努力」よりも成果も成長速度も大きい。

 

ただし、嫌なことがあれば嫌いにも転じうる。

 

好きなゲームで勝ってる間は楽しいけど、

負けたらクソゲー認定して飽きてしまうような感じ。

 

3、夢中

好きよりさらに強い状態。半分マゾヒズムが入っており、

困難にぶち当たってもそれすら楽しめるような状態。

 

負けてもその対策を練るのが楽しかったりする。

 

好きなことや夢中なことは「努力」とは言わない

・・・以上、言葉の定義をしてきましたが、

僕は「好き」や「夢中」でやっていることと、

「努力」というものは、明確に分けています。

 

なぜなら、

「好きな野球にひたすら打ち込んでいる状態」も

「努力をしている」という表現ができるわけですし、

個人によって「努力」という言葉を使う場面は変わります。

 

しかし、僕はあくまで

「好きなことにひたすら打ち込んでいる状態」=好きや夢中

「好きでもないことをイヤイヤやっている状態」=努力

 

という風に、明確に分けた方が議論しやすいのでそうします。

 

それを断ったうえで、

「努力」と「夢中・好き」という状態は、

どっちが「より価値があるのか」を論じましょう。

 

「努力」と「夢中・好き」はどちらが”上”なのか?

もったいぶるのもアレなんで、

早速結論から述べてしまいます。

 

僕の中では、

「夢中>好き≒才能>>>超えられない壁>>>努力」

この定式が出来上がっています。

 

その理由を述べると、

 

①「努力」が通用するのは受験生まで。「努力」でやっている人は、

いずれ「好き」でやってる奴の異常な成長速度に追いつけなくなる。

 

②才能は、「あることを継続する才能」とほぼイコールであり、

「好き」なことが「好きでもないのにやってる」ことに比べ継続しやすいのは当然。

したがって、「好きでやって、しかも継続できる」というのは才能と言ってほぼ間違いない。

 

③さらに「好き」よりも勝るのが「夢中」。夢中はもはやマゾが半分入っており、

困難があってもそれすら楽しめるほどのめり込んでしまっている状態だから。

 

これが、僕の考えになります。

 

「そんなことはない、努力が足りないせいだ!」

と思う人がいたら是非思い返してほしいんだけども、

 

「苦手なのに歯を食いしばってやったことで、人並み以上の成果が出たことはあるか?」

 

というのを考えてみてください。

 

・・・この問いに、YESと堂々応える人は稀でしょう。

 

なぜなら、そもそもが「苦手」なことなのですから、

いくら努力してできるようになったところで、

「全然できない」が「人並み程度にはできる」

になるだけで、やはり元からそれが得意な人には敵いません。

 

もっと最悪のケースでは、

そういう「元々それが得意な人」と比較されて、

「じゃあ、君も努力すればもっとできるようになるよね」

と、周囲から変な期待をかけられてしまうのが関の山です。

 

ですが、そのレベルまで達するには当然ながら

「さらなる努力」を要しますし、時間もさらにかかります。

 

実際は「全然できない」から「人並みにできるようになった」

という過程で、その人は恐らく限界まで無理して努力しています。

 

それ以上を求めるのは、酷というものでしょう。

 

「努力」で「本当にそれが好きな人」「得意な人」には絶対勝てない理由

また、身も蓋もないことを言えば、

「努力」でできるようになったことなんて、

本人が思うほど成果としては大きくありません。

 

本当に好きでやってる人、本当に得意な人が

一度「本気」を出したら、もはや努力程度で

どうにかなる問題じゃないのですよ。

 

僕の持論として、

「努力で通用するのはせいぜい受験生まで」

というものがあるわけですが、もっと詳しく言うと

 

“100点上限で、出題レベルも決められている「学校のテスト」くらいなら努力で克服できる”

“でも、それ以上のレベルになると苦手なことを努力している人が追い付けない領域に入る”

 

というわけです。

 

たとえば「歴史がマジで好き」な人と、

「苦手だけど試験では9割取って東大受かった!」

という人がいたとします。

 

たとえば、

この二人に歴史の受験問題を出して受けさせたら、

多分「点数上」大きな差は出ないはずです。

 

いや、下手したら「苦手だけど努力してたまたま満点が取れた」

「歴史が好きな人が凡ミスで1~2問間違った」まであるかもしれない。

 

たまたま、

  • 歴史が本当に好きなAさん・・・98点
  • 歴史は苦手だったけど勉強しまくったBさん・・・100点

 

ということもあり得るかもしれませんね。

 

これを表面的に捉えると

「努力が好きや才能に勝った」という

話にもなるかも知れないのですが、

ちょっと待ってください。

 

これはあくまで「評価されるのは100点満点まで」

という範囲の中での話になってしまいます。

 

つまり、「それ以上のレベル」というのは、

評価の対象にすらなりえないわけです。

 

でも、「好き」をこじらせた人間の成長速度と底の知れなさには、

「頑張ってできるようになった」程度のレベルでは全く歯が立たないからね。

 

たとえば、

「本当に歴史オタクまで極めた人間のレベル」というのは、

もはや「マニアック」どころか「変態的」な領域に入ってきます。

 

例題:

「織田信長の祖父の名前を答えよ」

織田信定

「三国志の曹操が「我が子房」と称えた軍師の名を答えよ」

荀彧

「暴君として恐れられるローマ皇帝ネロの母の名を答えよ」

アグリッピーナ

「チンギスハンの前半生の盟友だったが、のちに仲違いして敵対し、最後は処刑された人物を答えよ」

ジャムカ

「太平洋戦争で活躍した日本の戦闘機は”ゼロ戦”・・・ですが、

その後継機として設計され、結局戦争に間に合わなかった機体の名を答えよ」

烈風

 

さあ、あなたは何問できたかなw?

 

辛うじて1~2問答えられた人ならば、

まあ、全体から見れば「超凄いレベル」でしょう。

 

が、残念ながら「ガチで歴史が好きで、しかも得意な変態」は、

この程度なら「息を吐くように」答えられちゃうわけですよ。

 

言っとくけど、各時代の専門家クラスになると、

もはやこの程度の薀蓄ですら「おこちゃま」レベル。

 

それこそ、

 

「応仁の乱」の背景になった出来事や関係者のことを、

時系列ごとに全部「漏れなく」説明できてしまうとか、

 

中国の南北朝時代に乱立していた国の名前や興亡、

三国志の君主の名前とか子孫とか全部言えるレベル。

 

・・・こういう域です。

 

もはや、「学校で100点満点取れるレベル」

とは別世界と言っても過言ではないでしょうね。

 

むろん、数学や英会話だって、好きでやってる人なら

「学校で習わない範囲のことまでやってる」なんて当たり前。

 

このように、

「好き」をこじらせすぎて「変態」が半分入った連中に、

「頑張って」やってるだけの人が敵うわけがねーだろと。

 

まあ、僕が何を言いたいかというと、

「学校の成績が良かったからと言って、それは”井の中の蛙”かも知れない。」

「100点満点という規制が取っ払われた瞬間、努力程度では勝てない領域を思い知るかも知れない」

というわけです。

 

たとえば、

 

「スカウターで評価できる戦闘力の最大値が1万まで」の惑星で、

能力が「ぴったり1万」だったエリート戦士達が、調子こいて外に出たら

「戦闘力53万のフリーザ様」とかに出会ってボコボコにされた。

 

・・・という感じでしょうか。

 

要は、学校で測れる成績なんて

「計測可能値が100点満点までのスカウター」に等しく、

それ以上の能力を持っているフリーザ様も「100」としか表示されません。

 

でも、実際は「53万」(笑)

戦闘力100の雑魚が同レベルだと思って

喧嘩売ったら一瞬で粉みじんになります。

 

いわば、受験生までで評価されるのは

「最大値100点満点」までであり、

「それ以上のレベル」というのは分からない。

 

学校の体育の授業で問題なく「通知簿5」が取れる身体能力と、

オリンピック選手並みの身体能力で「通知簿5」を取るのも、

結局どちらも「評価5」止まりなのです。

 

だから、凡人でも努力すれば何とか

「評価5」くらいまでなら得られるわけです。

 

まさに、これが「努力の価値」を

誤解させる罠と言っていいでしょう。

 

本当は天才クラスの数学力を持っていても、

平凡な優等生が取る「数学5」と、数字上の評価は変わらない。

 

でも、本当は圧倒的な実力差があるのです。

 

もはやマゾすら入った連中の圧倒的実力に、

「学校の成績上は満点が取れる」程度の人は

全く敵わなくなってしまうわけです。

 

だから僕は冒頭のように、

「努力で何とかなるのは受験生まで」

という持論を持っているし、

「好きや無意識でやってる人のレベル舐めんなよ」

 

さあ、以上の話を踏まえたうえで、

もう一度聞きましょう。

 

努力さえすれば何でもできる」

 

・・・なんて、果たして僕らは自信を持って言えるでしょうか?

 

たとえば、僕らの子孫や教え子たちに、

「努力すれば・・・」などということを、

自信を持って教え伝えていくことができるでしょうか?

 

異論はあることも承知で言いますが、

僕は、やはり「努力しろ」ということを

少なくともゴリ押しはできないと思います。

 

「努力偏重主義」が世界と個人に与えているのは悪影響だけ?

以上、これまでの話を踏まえ、

「努力」「好き」「夢中」の

定義や効果を僕なりにしたわけですが、

何故こんな話をしてきたかと言うとですね・・・

 

ただ自分や個人のことだけ考えて

「好きなことや夢中になれることだけやってろ!」

ということを主張したいわけではありません。

 

「社会全体のメリット」という視野からも、

「努力偏重」「努力さえすれば何とでもなる!」

みたいな考え方が、いかに損失を生んでいるか

ということを改めて論じたいのです。

 

これまで述べたように、「努力」というのはあくまで

「好きではない、又は苦手なことを歯を食いしばってやっている」

という状態に過ぎません。

 

得意なこと・好きなことを全振りでやっていたら、

恐らく自然に大きな成果が出ますが、これを「100」とします。

 

ですが、努力でできるようになったこととは、

最初は「10」だったのが「40、50」くらいは

辛うじて出来るようになったという感じでしょうか。

 

むろん、弱点がなくなるのは悪くありませんが、

やっぱり「社会全体の成果」という観点から見ると、

「得意なこと」「好きなこと」全振りで行動し、

「100」を集めた方が全体としては良いはずです。

 

ですが、好きなことや夢中にできることというのは

「成果の価値」に対する認識が下がってしまうのです。

 

つまり、

「こんなに努力してやり遂げた自分はすごい!」

という意識が生まれるか否かという話。

 

だって、好きや夢中はそもそも「頑張ってない」し、

「楽に、何だったら楽しんでやってる」わけですよね。

 

好きなことを出来て、「俺スゲー!」とは思わないですよね。

 

なんなら、「好きなことだけやるなら誰にでもできる」

などと、冷や水をかけてくる人もいるかも知れません。

 

でも、本当は「好きなこと」「得意なこと」を

適材適所に配置した方が、世の中は効率よく回るはず。

 

でも、なぜかそうしない。

 

いまだに

「努力さえすれば何でもできる」

というような考え方がまかり通っています。

 

むろん、一般論としてそういう考えがあるのは理解できます。

 

僕は「我慢」や「努力」を絶対否定するわけではないです。

 

穿った見方かも知れませんが、少なくとも

「出来ないことは無理やりできるように努力しろ!」

言う方が、会社や組織のお偉いさんは楽だろうなとは思います^^;

 

上手く適材適所配置ができないトップが

自分の「人選ミス」を責められる前に、

「努力の不足」を理由に反撃できるわけですから。

 

でも、工業用の大型ハンマーで

小さな釘を打とうとして悪戦苦闘し、

「このハンマーは欠陥品だ」と言うのは

まったく馬鹿げた話なのは誰の目にも明らか。

 

使い方を間違ってるだけだろうという話です^^;

 

もちろん、上のせいにばかりしてれば

良いってもんでもないけれど・・・。

 

どうも「努力」をやたら偏重する風潮の裏には、

「人を適切な場所に配置して最大限力を発揮させる」

という考え方に疎いリーダーに都合がいいから・・・

こんな事情もあるのではないでしょうか。

 

むろん、使われる側は何も良いことがないけれども。

 

「好き、夢中」は正義! 「努力」を絶対視するのはもうやめよう

何にせよ、僕らはもう少し

「好き、夢中」でやることに対して評価すべきだと思うし、

逆に「努力」の成果を過大評価すべきではないと思います。

 

「人は、強みを見ればさらに強くなり、弱みばかり見ればどんどん弱くなる」

 

という言葉をどこかで聞いたのですが、

まさにその通りだと思っています。

 

それに、だいたい強みと弱みは

「表裏一体」だったりする場合も多いです。

 

たとえば、「猪突猛進」が本領の人で、

「冷静に考えて行動する」のが苦手な人、

 

この「猪突猛進」は長所にもなりうるし、

短所にもなりえます。

 

でも、これを「欠点」とばかり見ていれば、

言うまでもなくそれは「抑圧」の対象になります。

 

何事も恐れず進める強みが、

抑圧されて無くなってしまう・・・

 

逆に、頑張って「冷静さ」を身に着けようとはしたけど、

元々反対の性格だった人間に冷静さを教えたところで、

「完全なもの」になるのは難しいです。

 

結果、猪突猛進にも冷静にもなり切れない

中途半端な感じ」になってしまうでしょう。

 

でも、彼の「猪突猛進」をそのまま活かせる

場所はどこかには必ずあったはずなのです。

 

僕が「社会の損失」と言ったのはこういうこと。

 

変に自分の本質や強みを「短所」とみて、

「努力」によって無理に克服させるくらいなら、

最初から「強みとして生かす」ことだけを考え、

突き抜けていてしまった方が絶対に良かったはず。

 

僕は敢えて

「努力は大いに限界がある」

ということを主張したいし、

「好きや夢中のエネルギーは恐ろしいぞ」

 

ということを言っておきたいですね。

 

・・・まあ、本当は

「努力」「好き」「夢中」すらも上回る

「最強の状態」がもう一個あるのですが・・・

 

またそれは別の機会に。

 

最後に・・・あなたの幸福のために本当に必要な「努力」とは

ここまで僕が「努力」と「好き(努力)」の

どちらが価値のあるものかという話をしてきたのは、

ちゃんとした理由があります。

 

むろん、先にも述べたように、多くの社会は

「努力を過大評価し、好きでやること、夢中になれることを軽視している」

という傾向があるように思えたし、それに不満を感じたのが一つ。

 

そしてもう一つ、

「努力ばかりをゴリ押される社会はしんどいし、自分のためにも社会にとっても非効率」

という話もしてきました。

 

さらに、ここで僕が強調したいのは、

「自分の好きなことや夢中になれることを探す”努力”=”自己探求”はやる必要あり」

ということですね。

 

自分の好きなことを見つける「自己探求」は

果たして「努力」と言っていいのか分かりません。

 

でも、この自己探求というのは結構辛かったりもします。

 

みんな必要なのは多分分かってるけど、

自己探求をするということは、たとえ一次的にせよ

「自分の見たくない過去」とも向き合う必要があります。

 

要は、

「苦痛が伴う」

「本当はやりたくない人もいるかも知れない」

(少なくとも僕自身は苦痛が伴う)

 

・・・という意味で、

自己探求も「努力」の範囲に入れています。

 

でも、この「自己探求」だけは捨てられないし、

僕らが人として幸せになるためには不可欠だと思います。

 

むろん、自己探求や自分探しの過程で

「嫌なこと」も敢えて試してみないといけないでしょうから。

 

でも、最終的にはあなたが

「努力せずともできてしまう」「好きでやれる」

役割を、見つけられればと考えています。

 

少しでも参考になれば、この上ない喜びです。

 

あとがき

「努力」「好き」「夢中」のことについて、

ちょっと世間の努力至上主義とは違った側面で喋ってみました。

 

僕は現在、インターネットビジネスで生計を立てるということをやっています。

 

そのきっかけになったのも、実は今回の記事で

書いたようなことをずっと心の中で疑問に思っていて。

 

上手く人と付き合えない、自信が持てない、普通の人ができる仕事ができない。

 

人の数倍時間やメンタルを削ってやっても、ついて行けない絶望感。

 

そういう行き詰り状態の中、出会ったのがマイぺースに

周囲からのプレッシャーをかけられることなく仕事ができる

「ネットビジネス」という生き方でした。

 

僕は、

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  • 右も左も分からないド初心者(情弱)としての立場
  • 最悪感まみれな「情弱狩り」を強いられた立場
  • ネットビジネス成功者の立場と、挫折経験者の立場
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