「ワークライフバランスって、クソですね。」
いきなりですが、あなたはこの意味が分かりますか?
これは、ある「ワークライフバランスについて」のセミナーで講師の人が言い放ったセリフです。
もちろん、最初僕もこれを聞いた時には「はぁ???」ってなりましたよ。
最近、ブラック企業問題がどんどん話題になり、仕事だけでなくプライベートを追求すべきという論調が強まっています。
いわゆる「ワークライフバランス」というやつですね。
あ、一応僕自身は「ワークライフバランス」、というか「仕事よりもプライベートや人生を充実させるべき」って考えには基本賛成です。
だから、冒頭で「ワークライフバランスはクソですね」といった人の話を聞いて、「はいはい、いつもの社畜脳の俺様ワールドね。」と最初は思ったわけですが・・・
しかし、彼の話や、日本の歴史を考えてみると、彼が「ワークライフバランスはクソ」といった意味を、僕なりに納得できたわけです。
つまり、「ワークライフバランス」という考え方自体が、日本には合ってない。
今の日本の労働問題を解決するには、他の方法をとった方が良いという意味なんですね。
「ワークライフバランス」が叫ばれてはいるものの、なぜ一向にうまくいかないのか?
むしろ、
「ライフワークバランスなんて言ってるから成功しない」
「若者はライフワークバランスなんか考えずにビッグな成功を目指して働きまくれ!」
などと批判する「大人」の声に、なぜ押されてしまうのか・・・
それを今回は「日本の歴史(特に労働史)」という側面から考察してみたいと思います。
あ、一応言いますが、この記事はさっきのような
「ライフワークバランスなんて言ってるから成功しないんだ(ドヤァ」
「若者はライフワークバランスなんか考えずにビッグな成功を目指して働きまくれ!(キリッ」
とかいってる夢と野望さえあれば生きていけると抜かすワ●ミ的思想にかぶれた脳筋オラオラ系の意見を補強するものではありませんw
むしろ、上記のような「資本主義的サイコパス」どもが、真面目過ぎる日本人の労働観や文化を利用し、ブラック企業を作り、私腹を肥やし、多くの過労死やうつ患者を日本に生み出してきたのです。
後で言いますが、こいつらはいわば「欧米型経営者の悪い部分を日本に持ち込み、セアカゴケグモの如く日本に害を撒き散らしながら繁殖している危険な外来種」のようなものです。
しかしまあ、こいつらは相変わらず余計なお世話ですよね。
何が成功だよ、何がプライベートを考えるなだよ。
そもそも成長も成功も、自分の人生を良くするためのものだろうが。
社会的成功や歴史的偉業を達成するのが好きなら、そうすればいいけどさ。
そういう生態系の人間だけで世界が成り立ってんじゃねーぞってまだ分からんのかね、彼らは。
この手の連中は、さも「自分の世界イズオール」みたいなノリで価値観をみんなに押し付けるから僕は嫌いだし、毒づきたくなるんです。
黙ってりゃいいのにいちいち親切のつもりで説教を垂れるから余計性質が悪いっていう(笑)
こういう「オラオラ系」じゃない人が、「オラオラ系」のまねごとで社会的成功を求めるなんて、ホセ=ムヒカやティム=フェリスに見られたら笑われますよ。
「自分の(本心からの)夢や幸せのためでない、上っ面の社会的成功や金銭的成功なんか無意味だ」
というのが、僕の理想とする「二人」の基本スタンスです。
それはともかく・・・
僕はあくまで「プライベート」を幸福に生きること、そのために時間をできるだけ確保しようというのは何も悪いことじゃないし、今の時代に合った正義だと思っています。
そこは断っておきますねw
「ワークライフバランス」はクソ発言の真意とは?
さて、本題に戻ります。
それでもなお日本には「ワークライフバランス」という考え方は合っていない・・・その意味を説明していきましょう。
概要をざっくり言うと、その理由は「ワークライフバランス」という考え方が、欧米の労働文化を前提として生まれた考え方だからです。
だから、全く違う歴史をたどってきた日本の労働文化には合っていない。
ここでちょっと面白い事実を出しますが、意外なことに、昔の日本、特に江戸時代くらいの日本は今の日本人が見たらびっくりするくらいの超ホワイトといえる環境で働いていたと言います。
そんな日本古来の労働観は、欧米とは全く違うバックボーンや背景をもとに育ってきたもの。全然違うんです。
じゃあなぜそういう「古き良き?日本の労働文化」が崩壊したのか、いつからブラック企業やらサラリーマンが日本に誕生したのか・・・これについても、これまで僕が学んだことを語ります。
では、始めましょう。
「ワークライフバランス」という考えが合わない歴史的背景
冒頭で挙げた「ワークライフバランスってクソ」発言。
これは、戦後日本を引きずった社畜脳患者が言うような「若者は死ぬまで働け」という考えに立脚したものではありません。
気を付けて欲しいのですが、この発言の真意はそもそも「ワークライフバランス」という考え方が「日本の文化と合っていない」概念だということを言っただけであり、「若者も死ぬまで働け」とか、ワークライフバランス自体を否定した言葉じゃないということ。
じゃあ、なぜこのセミナー講師は「ワークライフバランスはクソ」と言ったのか、その背景となる歴史を語りましょう。
江戸時代は「40~50代で定年、夕方終業は当たり前」という超ホワイト環境だった!
ある歴史セミナーで教わったのは、江戸期の日本の一般庶民の「労働」は、今よりもっとのんびりしていたものだったということです。
まず、昔の日本は40~50代で多くの人が「隠居」します。つまりは「定年退職」と似たようなものです。
ちなみに、「それは江戸時代の平均寿命が短かったからじゃないの?」という疑問もあるでしょうが、江戸時代の日本人の平均寿命は決して低くありません。
確かに見かけ上の平均寿命は短いのですが、それは「高い乳児死亡率」のせいで平均値が下がってるだけで、成年まで生きればむしろ「世界でも割と長生きできた方」なのが江戸時代の実情なんですね。
しかし同時代の欧米は、衛生状態も悪い、公害で特に貧困層の死亡率が高いせいでなかなか平均寿命は伸びませんでしたが。
それはともかく、江戸時代は商人にしろ鍛冶屋さんにしろ一生現役がすべてということは全くなく、むしろ40~50代くらいで「隠居」し、子供や弟子などの跡取りに後を託すのが普通です。
さらに、「丁稚」など下級労働者の例外はいますが、江戸時代は労働時間も少なめで、昼くらいに「今日の業務は終わり!」という感じの業者もあったとのことです。それで十分食っていけるくらい稼げるからに他なりません。
スゲーな江戸時代。ゲームもネットもコンビニもないことを除けばいい時代だ(笑)
むろん当時は「電気」がなかったわけで、夕方くらいで終業するしかない人が多かっただけというのもあります。
ただ「丁稚」などの下級労働者が夜遅くまで働いていた例もあるように、決して夜まで働けないわけでもなかったのです。
このように、労働格差的なものはやっぱり当時からある程度は存在したのは確かでしょう。
しかし何はともあれ、少なくとも江戸時代というのは、「多くのお店が夕方とか昼に終業しても」、「十分経済が成り立っていた」というのがまず特筆すべき点ではないでしょうか?
また、今では早期退職なんかしたら労働者がいなくなって経済が破綻しかねませんが、江戸日本では比較的若い定年でも十分経済が回ったということもまた凄いですよね。
もちろん注意して欲しいのですが、今の日本と江戸時代は条件も全く違うから「単純に比較」するのは難しいです。
しかし、少なくとも全体的に見て「江戸時代」くらいの日本は、「超絶ホワイト」な労働環境だったのです。
いい意味で「家族経営」な企業が多かった江戸日本
加えて、江戸時代の労働というのはそもそも「労働」「プライベート」を区別する意識すらそもそもなかったのです。
別に、過酷な就職活動をしなければ職にありつけないわけではなく、割と家業を手伝っていたら習慣化していた、それで当たり前のように後を継いで・・・というように。
日本には「生業(なりわい)」という言葉があるわけですが、まさに「生活の一部」として、労働が染みついていたわけですね。
ここが、「給料分働いたらさっさと帰る」というドライな欧米の雇用関係とはだいぶ違うものでして。
当時「下級労働者」だった丁稚ですらも大事な「家族」として扱われ、まさにいい意味で「社員はみんな家族」な経営が成り立っていたわけです。
「家族」というワードを労働現場で聞くと、「即金1000万円」以上に怪しいイメージがついちゃいましたが、江戸時代は本当の意味で「家族」というか。
口だけ「社員はみんな家族です!」とかいいながらブラック労働を強いる、今時の日本のブラック企業と一緒にしては失礼というものでしょう(笑)
ここを話すと長くなるので省きますが、「日本的な和の労働文化」のおかげで、上は下を大事にし、下も上を尊重し、現代サラリーマンのように、賃金や休暇をわざわざ労働者側が求めるまでもなく、お互い信頼していたからこそ「それでうまく回っていた」のです。
簡単に言えば、日本には単純な「サラリーマン」のようなドライな雇用関係にある人は、なかなかいなかったのです。
「奪い合い」の欧米とは違う「調和」「共存」のビジネス観
また、抽象的な話にはなりますが、日本がこういうゆるい労働環境で経済を回せていたのは「日本固有の考え方」にヒントがあります。
それは、欧米企業が「競争・他国との軍備拡張競争」とセットで育っていったのに対し、日本の老舗や会社は「共存」を重視した経営が多かったせいでもあります。
今でも、僕の故郷の神戸の「洋菓子屋さん」は、のれん分けしても師匠の店の近くには絶対出店しないという暗黙のルールがあるそうです(潰しあいにならないため)。
このように、日本の老舗にはいい意味で「空気を読む」「お互い一線を超えた潰しあいはしない」文化が根付いています。
だから・・・と言っていいかは分かりませんが、「金剛組」などのような老舗企業が1000年以上続いている例が日本には少なくないのです。
欧米企業が日本企業のように1000年以上続いた例は全くといっていいほどないんじゃないでしょうか?知ってたら教えてw
また・・・持続性に関する話としてこういうのもあります。
欧米型の「競争」文化だと、江戸時代の人のようにのんびりしてたら「すぐライバルに食われる」からおちおち休めません。
むしろ、「あいつらが休んでるからこそ今がチャンス!」となますから、労働時間はできるだけ増やす、休日はできるだけない方がいい、値段は安くしたい、給料は低く抑えたい。
遅かれ早かれ、欧米型企業はそうなってしまうんですよ。
しかし、そういう過度な競争型ビジネスだと「どっちが先に破綻するか」という一種のチキンレース状態になります。
「奪い合う」「限界まで争う」しかできないから、ライバルに勝っても最終的には勝者も「奪う先」がなくなって、しまいにはジリ貧になるし、滅んでいく。
だから今、それに危機感を持つ海外の経営者の間でちょっとした日本史ブームが起こっています。
1000年以上続く老舗企業がゴロゴロしてるのは「日本だけ」という事実に、欧米の賢い経営者はみんな注目し、日本の歴史を勉強しまくっているのです。
一昔前だと「日本式企業」というのは、家族経営や保守的経営を象徴する言葉で、むしろ軽蔑の対象でしたが、時代は変わるものですねw
なにはともあれ、日本の古来の企業に
- 「共存」
- 「一線を踏み越えずにお互いよろしくやる」
という文化があったからこそ、日本の「労働文化」は守られてきたといえるでしょう。
日本のサラリーマンの起源は「失業武士」
しかし、江戸時代が終わって明治になると、ある階級が困窮します。
それは、武士階級(士族)です。
武士というと、時代劇の影響でいつも偉そうにふんぞりがえって、民から重税を巻き上げてる悪代官のイメージがありますが、実態はむしろ逆。
むしろ江戸時代の時点から、金がなくて困窮していた武家が多かったのです。
武士の仕事とは、基本は軍事です。
が、平和になって戦がない。領土が広がらない。
領民から取り立てた年貢を必死こいて分配し、社内ニートならぬ国内ニートになった武士たちを養っていかないといけません。
そりゃあ、財政的に苦しくなって当たり前ですw
そこで、武士の中には「参勤交代の大名行列に加わるバイト」や「寺子屋の先生」のアルバイトで「副業」をしないと食っていけなくなった武士が現れました。
いわば、労働契約と引き換えに賃金をもらう「サラリーマン」の短縮版がアルバイトなので、ある意味これが日本のサラリーマンの誕生起源です。
それはともかくとして・・・
江戸末期には長らく貧乏武士の収入源だった参勤交代(およびアルバイト)が廃止になり、さらには江戸幕府が滅亡し、明治維新となってしまいます。
もちろん、武士階級は大いに困り果てるわけです。
一応「士族」として名前だけは尊重されても、大名が解体され、年貢も取れなくなってしまった。このままでは元武士階級は食っていけない。
挙句、のちに西郷隆盛で有名な「西南戦争」のような、行き場所を失った元武士階級の抵抗運動も起こってしまうわけです。
ですが、多くの元武士階級は考えます。
当時、武士というのは武芸だけでなく、学問も相当に修めないといけません。刀振り回してるだけではないのです。
大河『真田丸』に登場した「長宗我部盛親」という大名崩れの浪人武将は、寺子屋の先生を表の顔として潜伏していましたが、大名の血筋ともなれば読み書きや計算はもちろん、礼儀作法や古事にも詳しい「立派なインテリ」です。
なので明治以降の元武士階級も、それを活かして時代を生き抜くことにしました。
つまり、銀行員や警察、教員に転身したのです。
むろん、商人や工場に拾われた武士階級も多かったでしょう。
そう、彼らはまさに給料と引き換えに働く「サラリーマン」となったのです。
諸説ありますが、これが日本の「サラリーマン」の起源の一つなんですね。
しかし、武士階級なんて、教科書でも見たことがあるかも知れませんが、日本の全人口の1%とか。
ようするに、日本のサラリーマンなんてものは「非常に特殊な労働形態」だったのです。
とはいえ、明治後期、大正くらいまではサラリーマンといえば、文武両道のエリートの集まり。
しかも、役人並みの好待遇であり、憧れの階級だったともいえるわけですね。
欧米の労働文化が入ってきて、何かがおかしくなってきた
が、そういった「日本ならではのサラリー文化」に、イレギュラーが入ってきます。
「欧米的サラリーマン文化」の侵入です。
先ほども言ったように、日本と欧米のサラリーマン(労働)文化は全く違う流れをたどってきています。
欧米のサラリーマン文化は、一言で言えば「労働者vs経営者の、絶え間ない闘争の歴史」をたどってきているんですね。
欧米の労働文化の歴史
少し遡り、欧米のサラリーマン文化の発展について少しお話しします。
そもそも、欧米ではイギリスをきっかけに「産業革命」が進み、より多くの武器、物資を大量生産できるようになりました。
そして、大航海時代から植民地獲得競争全盛期だった欧米諸国は「産業革命」をきっかけに、急激な軍備拡張と領土拡大に乗り出します。
他国よりたくさんの武器を、より早い領土拡大を、より強い軍隊を・・・
・・・まあそんな動機なんだから、国も工場の経営者も、「競う」「効率的に最大限稼ぐ」ことがデフォルトなんです。
しかし、いくら技術があってもカバーしきれないものはあります。
それは「人的資源」です。
だから、産業革命初期の欧米の企業や国は女子供であろうと容赦なく動員し、こき使い、ブラック企業的な経営をする経営者がわんさかと増えます。
しかし、あんまり好き勝手しまくったおかげで、労働者もバカじゃないから当然反発します。
また、ロバート=オーウェンのような一部の経営者からも「さすがに今の労働者の扱いおかしくね?」という疑問が生まれ始める。
・・・それが拡大し、ヨーロッパ各国では「労働運動」が起こったり、あるいはマルクスが提唱したような「共産主義革命」の思想が生まれたのです。
特に、共産主義思想は異様なまでに広まります。
ちなみに当初の共産主義というのは、「暴力革命で資産家はぶっ殺されて当然」という超絶過激な考えです。
厳密にいうと、マルクスは暴力革命を推進したというよりは「歴史の必然として資本家は労働階級に革命で倒される」というニュアンスだったのですが、マルクスの思想はヨーロッパの労働階級を過激化させてしまいます。
あれだけ共産主義が世界で流行ったということは、よっぽど労働者のうっぷんが溜まってたんでしょうね(笑)
余談になりますが、そういうヨーロッパの過激な共産主義者たちがとうとう「国」まで立ち上げちゃいます。
その代表が、後世では色々悪名高い「ソビエト連邦」だったりするわけなのですがそれはまた別の話。
・・・こうして、相次ぐ労働運動や暴力革命の連続で、欧米の経営者も、さすがにこれまでのように「好き勝手」はできなくなっていきます。
そして、労働者の側もさすがに暴力革命はしませんが、「俺らを舐めたら痛い目を見せてやるぞ」という、牙を常に隠し持つようになりました。
それが、今に繋がる「欧米のドライな雇用関係」なわけです。
給料分は働く。
でも会社が調子に乗ったらすぐ辞めてやる。
なんだったら労働運動でも起こしてやる。
そんな感じだから、欧米の経営者は労働者相手にも油断ができません。
確かに戦後日本でもストライキとかは流行った時期がありました。
が、欧米は文字通り資本家・経営者たちと「徹底的に戦い」、時には「ガチの殺し合いまでしてきた」血なまぐさい歴史を辿っています。
それに比べれば、ストライキが流行ったごときではまだまだ生ぬるいです。
むしろ、日本の労働者は平成以降すっかり「生かさず殺さず」の骨抜きにされ、今ではほぼ大きな労働運動もストライキも起きません。というかそんな気力も残ってません。
狡猾な経営者たちは、「給与は仕事に不満を持つのは、今の世代が根性ないからだ」という洗脳を植え付けてしまったからです。
残業代未払いなんていう、普通に考えたら違法な行為であっても「仕事に本気にならな若者が悪い」「労働者が悪い」みたいな風潮に今はなってしまっていますよね?
でも欧米を見たら全然違います。
ハッキリ言って欧米ではどんな理由があろうと残業代未払いなんてもってのほか、というか定時になったらみんな帰るのが当然。
「仕事<<<<<<プライベート」 が彼らは当たり前なのです。
そして、ブラックな経営をやろうとする経営者がいたら、「欧米の労働者魂」を身に着けた労働者たちはみんなすぐ「辞める」し、「ストライキ」も堂々と行います。
以前、アメリカで公務員がストライキを起こしたニュースが話題になりましたが、日本では公務員は「ストライキ禁止」だし、日本の常識で言えば「信じられない」出来事だったんですね。
でも、むしろ欧米ではいざとなれば「それが当たり前」なんですよ。
労働に対する正当な待遇がないなら、徹底的に自分の権利を守るために戦う。
それが欧米の労働者の、「ブラック経営者と労働者の激しい闘争の歴史」の中で培われたサラリーマン魂なのです。
これが、欧米のサラリーマンや企業の「ワークライフバランス」という概念が出来上がった背景。
まとめると、欧米発の「ワークライフバランス」という考えは、こうした長きにわたる労働者と経営者の闘争と妥協・和解の結果としてようやく形成された「文化」なのです。
強大な捕食者である「経営者」にも、「労働者の抵抗力」という「天敵」がいるから、好き勝手に繁殖できないわけですね。
欧米的経営は、「ブラックバス」のように日本で暴れだす
しかし、日本は違います。
この「略奪型経営者の天敵」がそもそもいないのです。
たとえば今、日本ではブラックバスやら西洋タンポポによる在来種の駆逐が問題になってます。
これら外来種は日本固有の在来種よりも繁殖力や生命力が強かったり、天敵がいないために大繁殖してしまうことが多いからです。
それと同じことが、欧米と日本の「労働文化」にも言えます。
長い歴史の中で、経営者と労働者の「パワーバランス」が保たれるようになっていた欧米ですが、労働者側の抵抗力が育たないまま「昔の欧米的なブラック経営思想」に侵入されてしまったのがある意味「日本」なのです。
その流れが来たのは明治維新で、欧米に追い付くのに「必死」だった日本政府は、欧米の制度や文化を無理やりねじ込みます。
明治以降、多くの武士が働くことになる「銀行」の創設や、その他鉄道会社や重工業など、欧米的会社の経営を取り入れたことを教科書で習った方も多いはずです。
ところが、日本では「欧米的経営者」だけが入ってきて、その天敵である「労働運動」や「ストライキ」の文化まではコピーできなかったのです。
これが、今に至る「ブラック企業」や「過労死」問題の根本だと考えられます。
日本は、さっきの江戸時代の基本的な考えで行けば
「雇用者を大事にするのが経営側の務め!」
「上も下も仲良く」
「生活と労働は調和するもの」
です。
それに対して欧米は
「会社は経営者のもの、労働者をずる賢く使い、利益重視!」
「経営者と労働者は常に互いに牽制しあうもの」
「生活と労働は分離しているもの」
なのです。
その根本的な「ズレ」「アンバランス」が、後々重大な問題を引き起こすことは何となくわかるはず。
日本人の「奥ゆかしい」「主張を好まない」性質が、海外から「主体性がない」「臆病」という誤解を受けるような感じで、まさに相性最悪。
特に、欧米型の「こき使う」雇用方式を知ったブラック経営者からすれば、日本の「平和的な」労働者は「弱くておいしいエサ」だったのです。
残業代も求めないし、集団圧力で勝手に労働者同士で牽制しあい、ナチュラルにサビ残してくれる、いくら扱いが悪くてもそうそう転職とかしない。
そりゃあもう、天敵のいない日本では欧米型経営者は「暴れ放題」。
セアカゴケグモなんか比ではないくらい大繁殖です。
確かに、大正時代など、日本でも一時的に「社会主義運動」「労働運動」が盛り上がったことはありました。
戦後にも、ストライキが今よりはるかに行われていたのも事実。なぜか平成になってから労働者の骨抜き化が進行していますが。
不思議なのですが、日本はなぜか「労働運動が盛り上がる!」というタイミングで決まってそれどころではない状況になるんですよね。
それが、長きにわたる「戦争」の開始だったり、「バブル崩壊」だったり。
・・・そんな中で「労働運動」なんかやってる場合ではありません。
こうして日本は、見事に「労働運動」などの文化が育たないまま「欧米的経営文化」だけが繁殖するようになったのです。
そういえば戦後には、日本の勤勉で真面目な労働者は「金の卵」などと呼ばれ、経営者からはたいそう可愛がられていましたね。
「卵」って、もはや人間扱いですらない(笑)
まんま「食い物」か「家畜扱い」なのがよくわかる表現ではないでしょーか・・・w
確かに、一面焼け野原になってしまった「戦後間もない日本」では、ある程度の過酷な労働は必要だったろうし、「時代に合っていた労働形態」ともいえるでしょう。
でも、それでも戦後の人はまだ「労働運動」くらいはやっていたと父や祖父から聞きますし、本当に日本の労働者が急速に骨抜きになったのって、バブル崩壊以降です。
でも、考えてほしいんですが。
日本はもう戦時体制ではないし、復興期でもないのです。
昭和どころか平成も終わったんですよ?
もうそろそろ時代の変化に合わせた労働観が広まってもいいのではないでしょうか?
僕はそう思います。
むしろ、時代に合わない体制を頑固に続けた結果滅んだ国なんて、歴史上いくらでもあるのです。
僕が「今の労働環境はおかしい」というのは、甘えとかサボり欲求だけでなく、「歴史」が証明してることでもあるわけです。
それはともかく、今なお、日本元来の「和」的な労働観は、「労働者は道具」としか思ってないブラック経営者のいいように使われてしまっています。
欧米のように、クソな経営者に対抗するノウハウが十分育ってないから、死ぬまで抵抗できない。うつになるまで我慢してしまう。
それに耐えられない人を「甘え」とか言ってるのは、はっきり言って危機感ゼロの脳内フラワーガーデンだし、このままでは日本からどんどん有能な人材が流出しちゃいますよ。マジで。
知ってますか?世界で「過労死」なんて言葉があるのは、日本だけなんですよ(笑)
N田さんのコミュニティで「笑い話」として聞いたんですが、ある北欧の女の子が「日本に行く!」と親に言ったら猛反対を食らったそうです。
その理由は、「やめて!日本は”カロウシ”という恐ろしいものがある、危険な国だ!」
・・・もう「カロウシ」がまんま単語扱いになってるというね。
僕は普通に恥ずかしいですけどね、こんな形で日本が認知されるって(笑)
まあ、そもそも日本では正社員ですらバンバン過労死するし、日本における外国人労働者の扱いの悪さを考えると、日本人である僕ら自身ですらこの母親を「過保護」と笑って否定できないのが怖いところですが。
・・・話が逸れましたが、これが基本的な「日本と欧米の労働文化の違い」でした。
もちろんここまでの話には諸説はありますので、そこはあまり極端に白黒で考えないようにお願いします。
しかし、「こういう側面もある」ということは是非知っておいてくださいね。
そして冒頭で言ったように、「ワークライフバランスがクソ」と言った人の真意は、
「日本の文化・社会に適合していない欧米文化であるワークライフバランスはそもそも日本に合わない」
ということを言いたかったわけです。
欧米の労働文化だからこそ定着した「ワークライフバランス」を無理やり日本に取り入れようとすること自体がズレてる。
もっと言えば、「働いて、きっちり対価と休暇をもらう」という欧米のドライな労働観自体が、「生活と仕事が半分一体化していた」古来の日本人の労働観とは決定的に合わないのです。
というか、あれだけ働いて「労働生産性(労働の効率的なものです)」が欧米に全く勝てていない事実を見ていても、日本が欧米的なサラリーマン文化で働くことに向いていないことを表しているように思います。
新しいビジネスか、古い日本社会へ回帰するか。
よって、今の日本・・・というよりは、下々の僕ら日本人が「会社の食い物にされないように」取るべき道は2つ。
一つは、江戸期のような「ゆるい共存体制」を日本企業が取り戻し、回帰していく道。
まあ、本音を言うと無理だと思ってますけどね、こっちは(笑)
で、もう一つが
日本のどうしようもなくなった労働文化に振り回されない道、すなわち「自分で稼ぐ力を身に着けていくこと」です。
僕は、今の社会ではこっちが圧倒的にやりやすいと思うし、根本的な社会制度から変えていかないといけない前者の対抗策よりよっぽど現実的だと思っています。
僕は、あなたに本意でもない暴力革命や、報われない批評家にはなって欲しくないし、綺麗ごとばかりの慈善家にもなって欲しくはありません。
ただただ、あなた自身が「本音」を活かして幸せに生きられることを祈るばかり。
今日の話の結論は、
「ワークライフバランスは日本に合わない、だから失敗する」
という話ですが、
「じゃあ、どうすれば僕らはそのとばっちりを受けないか」
というのを、是非あなたにも考えて欲しいのです。
僕は、たまたま「個人起業」を選んだ。
あなたがそれを参考にしてもいいし、真似なくてもいい。
あなたは、「実態」を知ったうえで、どう動きますか?
もし個人ビジネスとかに興味があって、雇われず稼ぐ方法を知りたいなら、僕の経験がちょっとでも役に立つかもしれません。
・・・ではでは、今回はこのへんで。
今日の記事に関して感想とかあれば、お待ちしています^^