康太です。
今日は気分を変えて、
ちょっと社会に関する記事を書いていこうと思います。
この記事に辿り着いた人に聞きたいんですがね、本音を。
将来の夢を持てとか、将来の夢の作文書くのって、正直ダルくないですか?
いや、だるいだと言い方悪いかも知れませんが、意味ないと思いません?
たぶん、この記事を見つけた人って、上手く作文を書きたいとかそういうことじゃなくて。
実の本音は将来の夢が無くて、書かされること自体が嫌なんじゃないでしょうか?
僕自身が「夢を持て!」で疲れて力尽きてしまった経験のある人間なのでよくわかるんですが、そういう状態で本当に欲しい言葉って、たぶん
「頑張れ!」
「努力して見つけろ!」
じゃないと思うんですよ。そんなんで解決したら苦労しないでしょう?
むしろ、気楽になれる一言や、前向きになれるメッセージだと僕は思うんです。夢を探さなきゃ、夢を見つけなきゃの風潮に苦しんでる人に必要なのは。
なので今回は是非、建前の夢をムリヤリ書かされて疲れてる(かもしれない)あなたへのちょっとしたリフレッシュになるような、将来の夢の作文全ディスの作文を書いてみようと思いますw
きっと、あなた(?)が、あるいは過去の僕が「将来の夢」についてバリバリ感じていた疑問を言語化できる助けになるんじゃないでしょうか。
「将来の夢」を無理やり持たせる風潮を全力でディスる「作文」を書きます
この記事を書こうと思い立ったのは、
記事を書き始める数日前だったっけな。
いつものようにブロガー仲間と話してて、
「今よく言われる”夢を持て”って、一種の束縛ですよねー」
なんてことを話していたんですね。
言うまでもなく、僕は今言ったように
「夢を無理やり子供や若者に持たせる」
今の教育の在り方は全否定派です。
最初に断っておきますが、
夢を持てるなら持てばいい。
ただ、
夢を持ちにくい人&持てない人の
自己否定や苦痛に繋がるような、
「無理矢理夢を持たせる」教育は大反対です。
「将来の夢 作文 書き方」までが「検索」で解決される時代
んで、
キーワード的に需要があればみんなにも聞いてほしいなーと思って、
ちょいちょいキーワードリサーチをしていたんですね。
そしたら、もうびっくりですよ。
実に呆れてものが言えない。
何が呆れたかって?
それは「将来 の 夢 作文」というキーワードが、
「Googleでよく検索されるキーワード」
だということが判明したことです。
むろん、
「夢があっても、うまく言語化できないから勉強してます」
だったらまだ分かりますよ。
「夢はあるんだけど、どういう書き方をすれば、より響く作文が書けるのかを研究するためにネット検索する。」
それも分かる。
・・・でも実際「将来 の 夢 作文」って調べたら、
「将来の夢に関する作文が書けない悩みの解決策!」
「将来の夢の作文の書き方を教えます!」
みたいなサイトがやたら出てきます。
それはいいんですが、
「夢に関する小論を書こうと思っても、夢がない場合の解決策!」
みたいなことを言ってるサイトまででてくる。
いや、
夢が持てない問題ってググっただけでサクッと解決できるようなもんなんですかね(汗)
なんか前提からおかしくないかと思っちゃったんです。
特にひでぇと思ったのが、
私には将来の夢がありません。それなのに学校の宿題で「将来の夢」という題で作文を書けと言われています。どうしたらよいでしょうか? |
という悩みを相談した男子高生に対して。
この質問に対する「お役立ちサイト」の答えがこんな感じ。
A.「将来の夢」作文を書くことで将来の夢を作りましょう。気負わず、しかし真剣に向き合うのがポイントです。
A.「将来の夢」作文を書く前に心理的な障壁を取り払おう!
ああこれダメだ、質問者と会話してないw
いや、常識で考えてください。
たとえばですよ、
あなたが友人やいとこの子供とかに
「僕、夢が持てないんだ・・・どうすればいいだろう?」
って悩みを打ち明けられたとき、どう答えます?
「夢を持てば解決します!気負わず、しかし真剣に向き合うのがポイントです!」
とか答えますかw?
肝心な「将来の夢」そのものが無い、持てないから困ってるのに、
この回答はよくよく考えるとアホすぎだと思いません?
まして、
「将来の夢」作文を書く前に心理的な障壁を取り払おう!
って・・・僕が友人やいとこだったら、
こんな適当な返答をされたらもう二度と相談しませんよ(笑)
僕はブログを書いてて、会社に雇われず飯を食ってる人間なわけですが、
「読者と対話できてないサイト」
にならないよう、ちゃんと読者の悩みを聞けるようなブログを目指してます。
でも、
「将来の夢の作文の書き方」
というキーワードで検索したところ、明らかにその悩みの根本を分かってない人が書いてるようなサイトばっかりだと思うんですよ。
そりゃあSEO(検索狙い)的には
狙い目のキーワードですし、
「解決策!」を書くのが王道なSEOなんでしょうけど。
でも、本質的な問題はそこじゃないんですよ。
作文とかそういうのはどうでもいいんですよ。
そもそもみんな困ってるのは、
別に「夢」もないというのに、
「将来の夢に関する作文を書け!」とか、
強制されていることですよね、多分。
もっと広く言えば、「夢を持て」という風潮に困ってる。
大変面倒くさいことに今の社会というのは、
夢を持たないのは非国民だ、人じゃない、屑だ。
夢さえあれば何でもできる、夢で食っていける。
こういう風潮なんですよ。
うん、
「夢さえあれば何でもできる」って、
どっかのブラック企業大賞の社長が
こういうこと言ってた気がするぞw
それはともかく、
本音は「別に夢がなくても」、
無理にでも「夢」を書かなきゃ、
「単位」や「成績」に響くから
イヤイヤ書かなきゃならない。
しかも、ひどいときはそれをクラス中や
全校生徒の前で朗読させられるわけですが、
その作文が「本音じゃない」ものだったら、
マジでバカバカしくないでしょうか。
ビッグマウスはまだ「本音の夢」だからいい。
でも、成績評価上仕方ないから書かされた
「将来の夢」とか何の意味があるんだろうか。
それで成績加算してるとかマジで意味不明すぎです。
まあ、そんな嘘八百でも書いとけば成績評価になるんですから仕方ない。
「将来の夢がなくても夢に関する小論文の書き方!」
なんてよく考えたら意味不明なコンテンツにも
需要ができてしまうんですよ。
でも、多分こういう悩みの本質は、
「作文が書けないから悩んでる」
わけじゃないですよね。絶対。
ホラ吹きと大人受けのいいキャッチコピーなら、
コピーライティング大会でやれば?って話。
根本的な問題なのは、
「夢がないのに夢を作文や小論で書かされる」
ということではないだろうか。
なんだろうね、
「夢を持つのは当たり前」
みたいな今の風潮はさぁ。
まず、
そこからおかしいと僕は思っています。
夢ってのは、
もっと希望に満ち溢れたものでしょう。
なのに、「夢」が多くの人を束縛したり、
「夢」が持てない人を苦しませてしまったり、
あげく踏み絵みたいなことをさせてどうすんだって話。
(踏み絵:江戸時代、キリスト教禁止令を出した江戸幕府は民衆にキリスト像を足で踏ませ、隠れキリシタンを炙り出したといわれる)
「夢」が人に希望を持たせるどころか、
夢がないから自分は生きる価値がない、
社会の屑だとか思ってしまう・・・。
そんな夢だったら、
僕は全く持つ必要がないと思うし、
本音でもない夢や目標に束縛されて、
一番苦しいのはあなた自身なんですよ。
夢なんかなくたって別にいいんですよ。
夢がなくたって人間は幸せに生きていける。
夢がなくたって金持ちになることもできる。
夢がなくたっていろんな人から頼りにされ、繋がれる。
それは可能なんです。
夢イズ必須みたいになってるのがおかしいだけ。
夢を食って生きてるなんて、
バクじゃないんですよ僕らは。
僕らは人間です。
(バク:人の夢を食べて生きる妖怪。あのリアル動物の名前の由来でもある)
「夢」を原動力に生きる人はそもそもタイプが限られる。
そもそも、
「夢」を中心に人生を考えるのは、
色んな人間のタイプのごく一部です。
いわゆる「オラオラ系」「社長タイプ」の人だけ。
彼らにとって今の資本主義的社会は実に適しています。
目標第一、成果第一、最短最速。
彼らがもともと得意としているものばかり。
で、実際それで
「今の社会で求められる社会的成功」を彼らが収める。
そして彼らは、その「成功法則」を
自己啓発とかセミナーで延々語るわけです。
もともと自己顕示欲も強いわけですし。
だから、
「それだけが成功の道」だと錯覚させられます。
社会で威張ってるタイプはこういう人達なので、
それ以外の「成功」を収めている「慎ましやかな人」は
表にそもそも「ほとんど」出てこないんですよ。
それがすごく怖いところであり、
僕が発信しなきゃと思う理由の一つです。
みんなが「夢」を持てというのは「クラス全員桃太郎」の学芸会と同レベル
夢なんて、はっきり言って
全員が持つ必要なんて全くないと思っています。
僕が言う夢というのは、
「歴史に残るような大偉業」を志せ、
というようなオラオラ系的な「夢」です。
でも、実際の社会を見てください。
自分の夢じゃなくても、
「誰かを輝かせる縁の下の力持ち」
でこそ実力を発揮するし、生きがいの人もいる。
夢や社会に対して特にやりたいことはないけど、
趣味の世界で力を発揮し、何かを残し、
結果的に幸福に生きる人もいる。
僕が大事にしている
「社会的承認欲求だけの不本意な生き方」ではなく。
全員がリーダー気質を目指す世界なんか
糞面白くもないし、社会としてもおかしいんですよ。
学芸会でクラス30人全員が桃太郎とかバカすぎます。
脇役の猿や犬、鬼やおじいさんおばあさんが
いてこそ「桃太郎」は成り立つんですよ。
自分で鬼退治に行こうとするおじいさんとか嫌ですよねw
ところが、今の社会はどうか。
みんな「桃太郎になれ」って言ってるも同然です。
鬼を退治し村を救うという
「夢」を持つ「桃太郎」以外はクソ。
指示待ち人間、人間の屑だ。
みんな桃太郎のようでなければならない!
その結果、
「みんな同じことを目指させられる画一社会」のできあがり。
みんな桃太郎を目指した結果、
みんなモブの村人A以下の価値です。
これじゃあ脇役でも犬や猿の方がよほど個性がある。
個性、個性と言いながら、
結局みんなが「頂点」を目指すような夢を無理に持たせる、
その結果脱落していく「大量の屍」は完全に度外視。
若者や子供をただ苦しめ、
追い立てるためだけの「夢」なんて
「本当にバカらしい」と僕は思います。
「今の社会は、夢と呼んでいいもののハードルが上がっているんだよ」
そういうことを言うと、
「今の若者は夢を持たないことがけしからん」
みたいな頭の固いお年寄りがだいたい出てきます。
まあ、
はっきり言って愚かなレッテル張りです。
分かってないのはそっちです。
むしろ年だけ重ねてその程度の思考しかないのが驚愕です。
そういう人は「自分達が若かったころの状況」と、
「今の状況」の違いをまるで分かっていないんだろうな、と思います。
そもそも、今の時代というのは、
「夢と呼んでいいもののハードルが上がりすぎている時代」
なんです。斉藤一人さんも言うように。
高度経済成長期くらいであれば、
「会社でサラリーマンになり、しっかり稼いで家族にうまい飯と温かい家を提供したい」
戦後間もない頃なんかもっと極端で、
「とりあえず明日家族で生き延びれるよう頑張る」
そんなことでも十分に「夢」として語れた。
誰もそれを笑う奴なんかいません。
でも今はどうか。
宇宙飛行士になるだの、
メジャーリーガーになるだの、
偉い社長になるだの、
ノーベル賞を取るだの、
そんな明らかに誰もが到達できるものじゃない
超絶高難易度のものしか「夢」としてまともに
「認められない」というような状態です。
「サラリーマンになりたい」なんて
作文にでも書いたらいい笑いものです。
実際、僕は笑われましたよ?
「日本の経済を支えているサラリーマンになって、堅実に生活したい」
って将来の夢を書いたらねw
自己肯定感のもともと強い・・・
というかデカい夢を何のためらいもなく持てる人なら、
「宇宙飛行士」みたいなでかい夢を平然と書けるでしょう。
そういうのがオラオラ系の恵まれた人です。
他人を蹴落としても、
頂点を目指したり競争をすることに
快感すら覚える変態どもですからねある意味(笑)
それはそれでいいんだけど、
それを別の価値観の人に無理矢理当てはめんなっていう話。
昔ながらの日本人的な、
自分の能力を過信していない「慎ましやかな人」には、
逆にそういう「実現の当てがそもそもない夢」を無理に
書かされるのははっきり言って苦痛でしかないんです。
で、そういう人を見て周りが
「もっと欲張れ!」「もっと貪欲になれ!」だの、
挙句「これこそ今の若者に覇気がない証拠だ!」
などと鼻で笑うような発言をしてくる。
今と昔を一緒にしてんじゃねぇよ。
平成も終わるって時分にまだ昭和の価値観を引きずってんのかよ。
いい加減気づけよ、時代の変化と状況の違いをさ。
働けば働くだけ好景気で給与が上がった昔、
働いても働いても実質賃金が低下していく今。
白米を毎日食う、テレビを買うくらいでも夢になった昔、
サラリーマンが夢とか言ったら三者面談で心配されるレベルの今。
状況が違うんですよ。全く。
悟り世代がどうの、
ゆとり世代がどうの、
もうバカ丸出しです。
そもそも斉藤一人さんも言うように、
「夢と呼んでいいもののハードルが極端に上がって、逆に夢を持ちにくいのが今」
だというのもありますし。
そもそもみんなが「夢」を
人生の目標に生きているわけでもない。
オラオラ系が言ってるだけです。
たぶん、どっかのブラック企業の王様も、
「夢があれば何でもできる!それがすべてに優先する!(社員一人の命よりも)」
と、割とマジでそう思っているのでしょう。
そういう価値観だからそれはしょうがない。
でも、
それを全人類に当てはまるようなノリで
周囲の人全員に当てはめるなという話です。
それをやりがちなのがオラオラ系なんですけどねw
まあ、だいたいみんな嫌いな
ワ●ミの社長とか、最近ネタにされてる
ゴ●ンとか見てたら分かりますよねw
我が強くて、俺イズ世界みたいな。
でも、だからこそ今のこの社会で圧倒的に
発言力と存在感を出しているのは彼らというのはあります。
(逆に、学者肌の人や職人肌が重宝された時代もあります。)
だから、彼らが自己啓発本やセミナーで
「夢があれば!」とか言っていたら、
皆それが正しい唯一絶対の道だと思っちゃう。
本当はそうじゃないんですよ。
時代が変わろうと、
「自分らしく」幸せに生きる人はいる。
知識の探求で成果を出してる人もいるんです。
楽しく遊んでるだけで稼いでる人もいるんです。
縁の下の力持ちとして認められてる人もいるんです。
彼らの「ありたい姿」「ワクワクすること」
というのはオラオラ系的な「夢」とは全然違います。
それを求めに行くと、
他のタイプは多分しんどいだけになります。
「オラオラ系的夢を持つことこそが人生!」
というのは、それを分かっていない人が多いんですよ。
だから、
「将来の夢を書け!(強制)」みたいな
アホな課題を学校すら(学校だからこそ?)出すんです。
夢に苦しむ子供や若者が増えるんです。
さっきも言ったように、
人に生きる希望を与えるどころか、
自己否定や劣等感を与えて苦しめるだけの
「夢」なんていっそ持つなまで言っていい。
「将来の夢」を持たなくたって、幸福な人生は送れます。
で、さらにそもそもの話をしますが、
金銭的成功にしろ、
自由を手に入れるにしろ、
人から愛される的な成功にしても、
別にそれ固有の夢がなくたって別にいいよね?って話です。
何かのトップには立たないけど、
逆にトップになる必要はないわけですし。
たとえば、あなたが単純に
「社長が持つような大きな夢や大望はないけど、旅行を楽しみたいくらいの目標はある」
という場合。
じゃあ、夢なんか別に要りません。
やることやれば、
それが存分にできるだけのお金や時間を
自分の力で稼ぐことも十分に可能なのが現在です。
オタク的趣味を極め、
プロニート生活を送りたいというのでも、
学校や就活の場で求められるような将来の夢なんか
別に「なくたって構わない」わけですからね。
別にないものを無理に持つとか、
子供に嘘と建前でも教えたいのって話です(笑)
本音じゃないならそもそもそれって夢じゃないし。
何のために持たせてる夢だよ。
僕が今
「将来の夢を無理やり書きましょう!」
なんて宿題を出されたら逆に堂々ディスります。
「将来の夢 書き方」という悩みで検索した人でもし
「将来の夢を持てと言われること自体が苦痛」だとしたら、
これだけは言っておきます。
「本音でもない夢なんて本当の夢じゃない」
「つーか、そんなもの生きがいどころか苦痛になるだけだからさっさと捨てちまえ」
・・・と。
ま、本音はともかく、
現実的には「将来の夢」を書くしかないでしょう。
単位落とされるのはバカバカしいですからねw
でもそういうときも、
「あーあ、意味もない宿題を出す先公はバカだな~」
と心に余裕を持ちながらも方便として
「将来の夢 作文 書き方」というのを
調べていってください(笑)
でも、これだけは口を酸っぱくして言いますが、
「本音でもない夢に染められないように気を付けろ」
と。
夢がどうこうじゃない。
社会的に褒められるかどうかも直接は関係ない。
あなたが「本音」で生きられる道や生き方こそ、
あなたにとって最善であり、幸福であり、正しい生き方なのです。
そういうわけで、
「夢を持てっていうけど夢なんてない」
という人は特にですが、
これを読んでいる人の悩みや
自己否定が少しでも和らぐことを祈る。
ちょっとした小話でした。
ちなみに僕は、
「将来の夢なんてなくたって」
あるいは、
「本当の夢は自分で誰にも干渉されず見つけるし、達成するさ」
という生き方を「ネットビジネス」によって送っています。
まあ、この記事を読んでる読者層の年齢的にこういうアヤシイ話をするのはどうかって思うけど、最近中高生でもネットビジネスやってる人がいるからまあいいだろう(笑)
そもそも、ネットビジネスって決して怪しい話じゃないし、むしろ学校の授業で縛られるよりはよほど生きていく知識やスキルが身に付くと思ってますから。
とりあえず、僕がどうやって、あるいはどういう過程でネットビジネスで食っていけるようになったかという詳細は、
これらの記事をとりあえず読んでみてください。興味あったら。
ではでは。